プロ野球歴代選手名鑑

引退/退団したプロ野球選手のプロフィールや一軍・二軍成績を紹介するブログです

坂巻明(日本ハム/ロッテ)

坂巻 明

さかまき・あきら
生年月日:1955年5月12日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:184cm/81kg
ポジション:投手
出身  :埼玉県
ドラフト:1976年ドラフト外
経歴  :二松學舍大学附属高校-青山学院大学(中退)-日本ハムファイターズ(1977~1987)-ロッテオリオンズ(1988)
球種  :ストレート、シュート

選手概要

ロッテ時代に、当時としては珍しい背番号「0」を付けた右腕。

二松學舍大学附属高校時代は、1年生から「4番・一塁」を任された。

青山学院大学へ進学すると、投手へ転向。2年春に芝浦工業大学を相手に1安打完封を達成するなど、活躍を見せた。

大学を中退したあと、1976年オフに日本ハムのテストを受けて合格し、ドラフト外で入団。

日本ハム1年目~5年目

1年目の1977年は一軍・二軍共に登板なし。

2年目の1978年は二軍で8試合に登板。0勝1敗、防御率4.15を記録した。同年は打撃投手としても投げている。

3年目の1979年は二軍で5試合に登板。0勝0敗、防御率5.25を記録した。

4年目の1980年は二軍で20試合に登板。8勝3敗、防御率2.51を記録した。同年は規定投球回に達し、完封も2つ達成している。

5年目の1981年は二軍で22試合に登板。7勝6敗1セーブ、防御率2.90を記録した。

日本ハム6年目~11年目

6年目の1982年に一軍デビュー。15試合に登板し、0勝1敗、防御率5.63を記録した。

7年目の1983年は9試合に登板。1勝0敗、防御率2.17を記録した。

8年目の1984年は38試合に登板。7勝6敗、防御率3.33と、キャリアハイとなる成績を残した。

9年目の1985年は10試合に登板。1勝3敗2セーブ、防御率6.26を記録した。同年は右肘痛があり、6月30日に手術を受けた。そのために登板数が減り、成績も落としてしまった。

10年目の1986年は一軍登板なし。二軍では12試合に登板。1勝4敗、防御率4.82を記録した。

11年目の1987年も一軍登板なし。二軍では21試合に登板。0勝2敗4セーブ、防御率6.82を記録した。

同年限りで自由契約となり、日本ハムを退団。テストを受け、1988年1月26日にロッテへ入団した。

ロッテ時代

翌1988年も一軍登板がなく、二軍では6試合に登板。1勝0敗、防御率0.73を記録した。

二軍では好成績を残したが、同年限りで現役を引退。背番号「0」は、高校の後輩である初芝清に受け継がれることになった。

引退後

翌1989年にロッテの打撃投手に就任。その後、スコアラー、スカウト、査定担当、寮長などを務め、2018年12月21日にロッテを退団。

余談だが、先発前日の夜に千羽鶴を右手で3回撫でるというルーティンを持っていた。

選手分析

球種:ストレートとシュートを武器とした。

 

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【1976年 日本ハムドラフト指名選手】
1位:黒田真二(入団拒否)
2位:藤沢公也(入団拒否)
3位:末次秀樹(入団拒否)
4位:大宮龍男
5位:柿田登(入団拒否)
6位:下田充利
ドラフト外:岡部憲章・坂巻明・坂神隆広石井博明大西正裕・島田誠・西井敏次