笠間 雄二
かさま・ゆうじ
生年月日:1953年3月22日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:183cm/87kg
ポジション:捕手
出身 :石川県
ドラフト:1976年6位
経歴 :金沢高校(石川県)-電電北陸-読売ジャイアンツ(1977~1979)-阪急ブレーブス(1980)-阪神タイガース(1981~1984)
選手概要
3球団でプレーした捕手。
金沢高校を経て、電電北陸へ入社。高校と社会人での1年先輩に堂上照がいた。
1973年に太平洋から5位指名を受けるが、入団拒否。1974年に阪急から3位指名を受けるが、再び入団拒否。
1976年に巨人からドラフト6位で指名され、今度は入団。「強肩」「守備は即戦力」という前評判で、既に結婚しており、子どももいたことから「子連れルーキー」として話題となった。
巨人時代
1年目の1977年は35試合に出場。打率.262、1本、5打点を記録した。
2年目の1978年は26試合に出場。打率.087、0本、5打点を記録した。
二軍では19試合に出場。打率.174、0本、2打点を記録した。
3年目の1979年は22試合に出場。打率.188、0本、0打点を記録した。
二軍では27試合に出場。打率..266、6本、18打点を記録した。
オフ(翌1980年1月11日)にトレードで、柳田真宏と共に阪急へ移籍。交換相手は永本裕章だった。
阪急時代
1980年は26試合に出場。打率.097、0本、2打点を記録した。
同年オフ(12月26日)にトレードで阪神へ移籍。交換相手は片岡新之介だった。
阪神時代
翌1981年は36試合に出場。打率.222、3本、9打点を記録した。
翌1982年は88試合に出場。打率.207、8本、20打点を記録した。同年シーズン途中から若菜嘉晴に代わり、正捕手となった。
翌1983年は127試合に出場。打率.271、12本、41打点と、自己ベストとなる成績を残した。
翌1984年は37試合に出場。打率.246、1本、3打点を記録した。
右肘痛のため、同年限りで現役を引退。
引退後
翌1985年~1988年は阪神の二軍バッテリーコーチ、1989年は一軍バッテリーコーチ、1990年は二軍バッテリーコーチ、1991年は二軍ブルペンコーチを務めた。
その後は阪神でスコアラー、広報などを務めたが、2001年に1年だけ、二軍バッテリーコーチとしてグラウンドへ復帰。
2003年からはスポーツデポで勤務している。
また、2003年~2006年の間は、マスターズリーグ・大阪ロマンズでもプレーした。
選手分析
肩は強いが、コントロールがいまひとつと言われていた。
エピソード
声が大きい選手として知られ、巨人時代「後楽園の外にいても笠間の声が聞こえる」と言われた。また、阪神時代に笠間の大声を野球中継のマイクが拾ったこともあった。
【1976年 巨人ドラフト指名選手】
1位:藤城和明
2位:赤嶺賢勇
3位:角三男
4位:吉沢克美
5位:松本匡史
6位:笠間雄二
新外国人:リンド