プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

小川達明(広島/ダイエー)

小川 達明

おがわ・たつあき
生年月日:1958年12月27日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:185cm/89kg
ポジション:外野手
出身  :広島県
ドラフト:1976年5位
経歴  :崇徳高校-広島東洋カープ(1977~1989)-福岡ダイエーホークス(1990)

選手概要

主に守備固めや代打で活躍した外野手。

崇徳高校時代は、3年春夏に甲子園へ出場。春は優勝、夏は3回戦で海星高校(長崎県)に敗退。この時の同級生に山崎隆造、黒田真二などがいる。

1976年にドラフト5位で広島へ入団。この時、山崎も1位で広島へ入団し、引き続きチームメイトとなった。

当時の小川の前評判は「遠投120mの強肩」「将来性がある」というものだった。

広島1年目~5年目

1年目の1977年は二軍で49試合に出場。打率.256、1本、8打点を記録した。

2年目の1978年は登録が捕手へ変更に。同年は二軍で64試合に出場。打率.289、3本、25打点を記録した。

3年目の1979年は登録が外野手へ戻り、二軍で66試合に出場。打率.267、5本、30打点を記録した。また、12盗塁と脚の速さも見せている。

4年目の1980年は二軍で52試合に出場。打率.240、10本、29打点を記録した。

5年目の1981年は二軍で69試合に出場。打率.298、6本、23打点を記録した。

広島6年目~10年目

6年目の1982年に一軍デビュー。7試合に出場し、打率.000、0本、0打点を記録した。

二軍では60試合に出場。打率.265、6本、27打点を記録した。

7年目の1983年は途中出場をメインに、66試合に出場。打率.261、4本、12打点を記録した。

8年目の1984年も守備固めや代打をメインに、90試合に出場。打率.250、4本、14打点を記録した。

9年目の1985年は101試合に出場。やはりスタメンの機会は少なく、山本浩二の守備固めでの出番が多かったが、打率.241、2本、15打点を記録した。

10年目の1986年は背番号が「30」から「7」へ変わり、自己最多となる105試合に出場。打率.323、2本、12打点と好成績を残した。

広島11年目~13年目

11年目の1987年は37試合と出番減。打率.264、1本、10打点を記録した。

出番が少なくなった理由としては、今まで守備固めを必要としていた山本浩二が引退し、代わりにランスが入団したことが挙げられる。なお、前年の1986年はスタメンが6試合、1987年は9試合だったため、先発出場の機会は増えていた。

12年目の1988年は62試合に出場。打率.163、1本、5打点と成績を落とした。

13年目の1989年は71試合に出場。打率.253、1本、10打点と盛り返した。

同年11月9日に、金銭トレードでダイエーへ移籍。ちなみに同日、松林和雄も広島からダイエーへ移籍した。

ダイエー時代

翌1990年は9試合と大幅に出番が減り、打率.250、0本、1打点を記録。

二軍では31試合に出場。打率.224、0本、12打点を記録した。

同年限りで現役を引退。

引退後

2024年現在は、広島にある野球塾「ドラワン塾」で塾長を務めている。2019年3月に花田侑樹がこの塾を卒業し、2021年に巨人へ入団。

エピソード

・焼肉のタレを作るのが上手いという特技を持っていた。

・高橋慶彦と仲が良かったようで、たびたび高橋のYouTubeチャンネルにゲストとして登場している。

 

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【1976年 広島ドラフト指名選手】
1位:山崎隆造
2位:土居正史
3位:平田英之
4位:立野政治(入団拒否)
5位:小川達明
6位:山本穰
ドラフト外:大野豊・小林一史
新外国人:ギャレットライトル