山本 穣
やまもと・じょう
生年月日:1959年3月6日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:178cm/78kg
ポジション:捕手
出身 :三重県
ドラフト:1976年6位
経歴 :宇治山田商業高校-広島東洋カープ(1977~1982)-南海ホークス(1983~1984)
※一軍出場なし
選手概要
捕手。
宇治山田商業高校を経て、1976年にドラフト6位で広島へ入団。「強肩強打の捕手」という前評判だった。
広島1年目~3年目
1年目の1977年は二軍で11試合に出場。打率.182、0本、0打点を記録した。
2年目の1978年は二軍で8試合に出場。打率.250、1本、1打点を記録した。
3年目の1979年は二軍で24試合に出場。打率.045、0本、0打点を記録した。
広島4年目~6年目
4年目の1980年は一軍・二軍共に出場なし。一軍に帯同し、ブルペン捕手の役割をこなした。
5年目の1981年も一軍・二軍共に出場なし。同年もブルペン捕手として働いた。
6年目の1982年は練習生という扱いになった。そのため、一軍・二軍共に出場なし。
同年オフに広島を自由契約となり、南海へ移籍。
南海時代
翌1983年は二軍で2試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。
翌1984年は二軍で12試合に出場。打率.417、0本、1打点を記録した。
高打率を残したが、同年限りで現役を引退。
引退後
引退後は1995年まで南海/ダイエーのブルペン捕手を務め、工藤公康から「ピッチャーを乗せるのがうまかった」「日本一のブルペンキャッチャー」と高く評価された。
1996年~1999年はサブチーフを務め、2000年からは二軍スタッフとなったが、同年4月に急死。41歳だった。
2003年、ダイエーがリーグ優勝を果たして胴上げが行われた際、山本の遺影を掲げた選手がいた。それほど慕われていたのだろう。
【1976年 広島ドラフト指名選手】
1位:山崎隆造
2位:土居正史
3位:平田英之
4位:立野政治(入団拒否)
5位:小川達明
6位:山本穰
ドラフト外:大野豊・小林一史
新外国人:ギャレット・ライトル