プロ野球歴代選手名鑑

引退/退団したプロ野球選手のプロフィールや一軍・二軍成績を紹介するブログです

デービス(中日/クラウンライター)

ウィリー・デービス

デービス Willie Davis
生年月日:1940年4月15日
投打  :左投げ左打ち
身長/体重:186cm/84kg
ポジション:外野手
出身  :アメリカ
ドラフト:なし
経歴  :ドジャース-エクスポズ-レンジャーズ-カージナルス-パドレス-中日ドラゴンズ(1977)-クラウンライターライオンズ(1978)

選手概要

様々なお騒がせエピソードを持つ外国人野手。

MLB時代

アメリカでは1960年にドジャースでメジャーデビュー。同年は20試合に出場し、打率.318、2本、10打点を記録した。

翌1961年はレギュラー外野手となり、128試合に出場。打率.254、12本、45打点、12盗塁を記録した。

翌年以降も主力打者として活躍したが、1973年オフにトレードでエクスポズへ移籍。その後、レンジャーズ、カージナルス、パドレスとチームを移った。

1976年にパドレスで141試合、打率.268、5本、46打点、14盗塁を記録し、翌1977年に中日へ入団。既に37歳とベテランだったが、MLB通算2386試合、2547安打、182本、397盗塁を記録した超大物メジャーリーガーが来日ということで大きく話題となった。

中日時代

1年目の1977年は72試合に出場。打率.306、25本、63打点、10盗塁を記録した。

同年は5月14日に行われた巨人戦でランニング満塁本塁打を放つなど印象的な活躍を残したが、与那嶺監督に対して見下した態度を取り、サインを無視するなど素行に問題が見られた。また、後述する通り、チームメイトともたびたび不和を起こしており「チームの和を乱す」と言われていた。さらに、相手球団の投手に対しても奇声を発し、舌を出して侮辱するなどして不評を買った。

8月に手首を骨折して離脱することとなったが、むしろデービスがいなくなったことでチームの雰囲気は良くなったという。その証拠にデービスが離脱したあと、中日は順位を5位から3位へ上げている。

こうした状況から「デービスがいない方がチームは勝てる」という結論になり、好成績を残しながらオフに金銭トレードでクラウンライターへ放出されることとなった(無償に近い金銭トレードだったとも言われている)。

クラウンライター時代

翌1978年は127試合に出場。打率.293、18本、69打点、12盗塁を記録した。

好成績を残したが、やはり素行に問題があり、同年限りで自由契約となった。

NPB退団後

翌1979年はエンゼルスでプレー。43試合に出場し、打率.250、0本、2打点を記録した。

翌1980年はメキシコリーグでプレーし、同年限りで現役を引退。

その後、1996年に両親を日本刀や手裏剣で脅して金銭を要求し、逮捕された。当時、デービスは定職に就いておらず、経済的に困窮していたという。

2010年3月9日に逝去。69歳だった。

エピソード

・中日時代は主力打者であるマーチンに対し、MLBでの実績が違うことから見下した態度を取っていたと言われる。そのためマーチンは委縮し、スランプに陥った。
・創価学会の熱心な信者であった。1年目の春キャンプでは早朝から大声で読経し、チームメイトの眠りを妨げた。
・中日時代、一度も全体練習に参加しなかったと語られている。
・「さすがメジャーリーガー」という走塁を見せる場面はあったが、たびたび怠慢プレーも見せていた。

 

野手「て」へ

1978年退団選手一覧へ

【1976年 中日ドラフト指名選手】
1位:都裕次郎
2位:生田裕之
3位:宇野勝
4位:今岡均
5位:高元勝彦
6位:中原勇一
ドラフト外:柳沢高雄
新外国人:デービス