本東 洋
もとひがし・ひろし
生年月日:1967年9月14日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:180cm/77kg
ポジション:投手
出身 :鹿児島県
ドラフト:1991年3位
経歴 :鹿児島高校-三菱重工長崎-オリックス・ブルーウェーブ(1992~1995)
球種 :ストレート、シュート
選手概要
右腕。
鹿児島高校では1年秋からエースとして登板。3年春には県大会で優勝し、3年夏はベスト8まで進んだ。
高校卒業後は三菱重工長崎へ入社。1991年にはリリーフとして投げ、都市対抗で準優勝、秋の日本選手権でもベスト4と活躍を見せた。
同年オフにドラフト3位でオリックスへ入団。「ストレートに威力があるサイドスロー」「ストッパー候補」という前評判だった。ちなみにドラフト同期に田口壮、イチローなどがいる。
オリックス1年目~3年目
1年目の1992年は3試合に登板。0勝0敗、防御率10.13を記録した。二軍では17試合に登板。4勝2敗、防御率4.69を記録した。
同年は目立った成績を残すことができなかったが、一軍では2回2/3を投げて2奪三振、二軍では55回2/3を投げて47奪三振と、三振を奪う能力の高さを見せた。一方で、一軍で4与四死球、二軍で52与四死球と制球難も露呈した。
2年目の1993年は二軍で7試合に登板。0勝1敗、防御率5.09を記録した。同年は怪我をしたこともあり、登板が少なかった。同年も23回を投げて19奪三振を記録したが、14与四死球とコントロールの悪さを見せている。
3年目の1994年は二軍で12試合に登板。2勝6敗、防御率3.78を記録した。
オリックス4年目~引退まで
4年目の1995年は一軍・二軍共に登板なし。
同年限りでオリックスを退団。
選手分析
投法:「アンダースロー気味のサイドスロー」と言われた。
球速:プロ1年目頃「MAX147km」と言われた。
球種:シュートを投げた。
短所:前述したとおり、奪三振は多いが与四死球も多く「制球力がカギ」と評されることが多かった。
【1991年オリックスドラフト指名選手】
1位:田口壮
2位:萩原淳
3位:本東洋
4位:鈴木一朗
5位:北川晋
6位:西芳弘
7位:山本大貴
新外国人:トーベ、マルチネス