江坂 政明
えさか・まさあき
生年月日:1967年8月9日
投打 :左投げ左打ち
身長/体重:184cm/80kg
ポジション:投手
出身 :京都府
ドラフト:1991年2位
経歴 :平安高校-神戸製鋼-近鉄バファローズ(1992~1997)-阪神タイガース(1998)
球種 :ストレート、カーブ、スライダー、フォーク
選手分析
左腕。
アマチュア時代
平安高校では同級生の小島弘務と共に2本柱として活躍。3年夏は大阪府大会決勝まで進んだが、花園高校に敗れて甲子園出場はならなかった。
この時からプロのスカウトに注目されていたが、高校卒業後は神戸製鋼へ入社。都市対抗に4回、日本選手権に3回出場するなど、ここでも実績を残した。
1991年にドラフト2位で近鉄へ入団。「緩急を使った投球術が持ち味」「即戦力左腕」という前評判だった。
近鉄1年目~3年目
1年目の1992年は23試合に登板。4勝1敗、防御率4.68を記録した。同年は後半戦から台頭し、先発・リリーフの両方で投げた。
2年目の1993年は21試合に登板。8勝3敗、防御率2.75と好成績を残した。
3年目の1994年は15試合に登板。1勝5敗、防御率7.30と成績を落とした。
近鉄4年目~6年目
4年目の1995年は11試合に登板。2勝5敗、防御率5.09を記録した。同年に記録した2勝はいずれも完投だったが、それ以外の試合では早いイニングで打たれての降板が多く、調子にムラが見られた。
5年目の1996年は4試合に登板。0勝0敗、防御率8.22を記録した。二軍では20試合に登板。7勝3敗4セーブ、防御率2.53を記録した。同年オフに行われた契約更改でトレードを志願したが、移籍することはなかった。
6年目の1997年は一軍登板なし。二軍では14試合に登板。1勝0敗、防御率3.97を記録した。
同年12月8日に移籍願望が叶い、萩原誠(当時の登録名は「誠」)とのトレードで阪神へ移籍。
阪神時代
翌1998年は2試合に登板。0勝0敗、防御率18.00を記録した。二軍では19試合に登板。1勝1敗、防御率4.63を記録した。
同年限りで阪神を退団。
NPB退団後
2000年は台湾の台中金剛でプレーした。
選手分析
投法:スリークォーター
球速:1992年頃の映像を見ると、130km台後半~140km台前半のストレートを投げている。
球種:社会人時代からフォークを投げ始めた。他にスライダー、カーブを投げた。
投球:強気な投球、積極的な投球をすると言われていた。
【1991年近鉄ドラフト指名選手】
1位:高村祐
2位:江坂政明
3位:品田操士
4位:中村紀洋
5位:背尾伊洋
6位:森山一人
7位:上山勲
新外国人:デービス ビーン