市原 稔
いちはら・みのる
生年月日:1947年3月11日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:171cm/67kg
ポジション:内野手
出身 :千葉県
ドラフト:1968年ドラフト外
経歴 :千葉東高校-早稲田大学-南海ホークス(1969~1970)
選手概要
裏方として長く野球界に携わった内野手。市原圭の父。
アマチュア時代
千葉東高校を卒業後、早稲田大学へ進学。しかし、野球部ではプレーせず、母校・千葉東高校の監督をしていた。
1968年にテストを受け、ドラフト外で南海へ入団。「センスがある二塁手」と言う前評判だった。
南海時代
1年目の1969年は1試合に出場。打席には立たず、遊撃のポジションに就いたのみだった。二軍では出場数不明、打率.234を記録した。
2年目の1970年は一軍出場なし。二軍成績は不明。
同年限りで現役を引退。
引退後
引退後は南海の通訳、マネージャーなどを務め、仕事ぶりが『あぶさん』で取り上げられたこともあった。
その後、ブレイザー監督の誘いがあり、1979年~1980年は阪神のコーチを務めた。
ブレイザーが南海の監督へ就任したため、1981年は南海の一軍・守備走塁コーチ、1982年は一軍ベースコーチ兼守備コーチを務めた。翌1983年は役職不明、翌1984年はコーチ補佐、翌1985年は内野守備コーチ補佐兼通訳を務めた。
その後は近鉄編成部へ移籍し、2003年まで編成部部長などを務めた。
さらに時期は不明だが、巨人でも編成部で勤務していたことがある。
選手分析
特徴:「守備は上手いが打力が弱い」と言われていた。