山下 譲
やました・ゆずる
生年月日:1926年1月27日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:165cm/64kg
ポジション:捕手/外野手
出身 :不明
ドラフト:なし
経歴 :日本大学第三中学校-法政大学-函館太洋クラブ-近鉄パールス(1950~1952)

選手概要
不幸な事故を起こした野手。
アマチュア時代
日本大学第三中学校時代は捕手としてプレー。
高校卒業後は法政大学へ進学。大学入学後に打力を買われ、外野手へ転向。
大学卒業後はノンプロの函館太洋クラブへ入団。ここでは捕手としてプレーした。
1950年に藤田省三監督から誘われ、外野手として近鉄へ入団。
プロ1年目~引退まで
1年目の1950年は57試合に出場。打率.235、1本、7打点を記録した。
同年は外野手登録ながら、4月に捕手として10試合でスタメン出場。これは、近鉄が捕手不足だったためと思われる。その後は「1番・右翼手」として11試合に出場するなどしたが、閉幕間際に再び捕手として10試合にスタメン出場を果たした。
2年目の1951年は78試合に出場。打率.204、4本、15打点を記録した。同年は主に中堅手としてスタメンで出場した。
3年目の1952年は83試合に出場。打率.241、1本、9打点を記録した。同年は左翼手、中堅手、右翼手と外野全ポジションを守った。
NPB公式サイトによると、同年限りで近鉄を退団。
しかし、一部の選手名鑑では翌1953年も名前が掲載されている。この辺りの詳細は不明。
選手分析
守備:地味だが上手い外野守備をすると評価されていた。
エピソード
・1950年4月2日、後楽園球場で試合前に練習をしていたところ、山下が放った打球が外野席にいた子どもの頭に直撃する事故が起こった。この男の子は頭部骨折陥没の重傷を負ったとのこと。