プロ野球歴代選手名鑑

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右に左に打ち分けた広角打法・栗原健太をデータで見る【野球データコラム】

通算153本塁打を放った広島の強打者、栗原健太。

彼を語る際に欠かせないポイントの一つが、その広角に打ち分ける能力だ。

今回はデータから栗原の打撃を見ていきたい。

■ブレイクしたシーズン

栗原は1999年のドラフトで広島から3位指名を受けて入団。前評判は高校通算38本塁打の長距離砲というものだった(Wikipediaでは39本塁打になっているが、書籍により違うようだ)。

ルーキーとなる2000年、翌2001年は一軍出場がなかったが、2002年に二軍で4番に座り続けると、一軍でも10試合に出場し、初本塁打を記録。さらに2003年は26試合に出場し、3本塁打と力をつけた。

そして2004年に90試合、打率.267、11本塁打と覚醒の兆しを見せると、2005年に77試合、打率.323、15本塁打と花開いた。

このシーズンで特徴的だったポイントの一つが、本塁打を広角に打ち分けたこと。

右打ちながら、左3本 左中2本 中2本 右中2本 右6本と右方向への強い打球が目立った。

さらに、積極性も持ち味で、 初球打率.594 0-1打率.583 1-0打率.500 (カウントはSBO) と、早いカウントで好結果を残した。

■安定期に入った打撃

広角に長打を放つ打撃はその後も変わらず、2007年も左7本 左中3本 中7本 右中1本 右7本という結果を残した。

変化が見られたシーズンが2008年。左12本 左中4本 中4本 右中0本 右3本と、引っ張り傾向が現れた。さらに、23本塁打を記録した2009年、15本塁打を記録した2010年も左方向への本塁打が多い傾向は続いた。

ちなみに2010年に本塁打が減った原因は、6月に死球を受けて右手首を骨折し、離脱した期間があったため。OPS.851と、出場した期間はしっかりと結果を残していた。

■右方向への本塁打消滅、そして成績低下

そして、2011年。この年は統一球が導入されたが、144試合、打率.293、17本と本塁打こそ減ったものの、他の打者と比べると好成績を残し、ベストナインに選ばれた。

しかし、打撃の傾向はさらに変化し、左15本 中2本 右0本。統一球の影響があったかはわからないが、右方向への本塁打がなくなった。

翌2012年に大きな転機が訪れる。この年、右肘を手術した影響で、わずか21試合の出場に留まり、打率.211、0本という成績に終わった。

加えて2013年も故障を頻発し、24試合で打率.203、0本の成績に。この年は二軍でも74試合、251打数でわずか2本塁打と自慢の打棒を発揮出来なかった。

2014年も右肘痛に見舞われ、これが重症だったか一軍出場なし。オフに右肘手術を受けた。さらに2015年も一軍出場がなく、二軍でも30試合、38打数で打率.132、1本塁打に終わる。

すると、オフに自由契約となり広島を退団。楽天へ移籍するが、2016年オフに引退した。

■打撃の変化の理由は?

力強く広角に本塁打を打つ選手から引っ張る打者に変化した栗原。その理由は本塁打を増やすためか、右肘痛の影響か、それとも統一球か? それはわからないが、右方向への本塁打が多かった理由の一つとして挙げられそうな要素はある。

栗原は2007年、2009年、2011年、オールスターに出場した際に、落合博満に助言を求めていた。その時、落合からこう言われたそうだ。

「全部センターから右方向へ狙って打ってみろ。インコースでもセンターへ全部打ち返すつもりで打ちなさい」

2007年以前も右方向に打っていた栗原だが、落合からのアドバイスにより、より意識を強くしたということは考えられる。他球団の監督からだが、アドバイスを受けたあとはいつも好調だったそうだ。やはり、栗原と言えば右方向への打球が持ち味だったのだろう。

※参考文献

中日・栗原打撃コーチの信念 落合流「教えすぎない教え」(https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1784301/
『プロ野球スカウティングレポート2006』(アスペクト)
『プロ野球スカウティングレポート2008』(アスペクト)
『プロ野球スカウティングレポート2009』(アスペクト)
『プロ野球スカウティングレポート2010』(アスペクト)
『プロ野球スカウティングレポート2011』(廣済堂出版)
『プロ野球スカウティングレポート2012』(廣済堂出版)