プロ野球歴代選手名鑑

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土井雅弘(ダイエー/オリックス)

土井 雅弘

どい・まさひろ
生年月日:1972年6月16日
投打  :左投げ左打ち
身長/体重:187cm/73kg
ポジション:投手
出身  :山口県
ドラフト:1995年3位
経歴  : 下松工業高校-新日本製鐵光-新日本製鐵八幡-福岡ダイエーホークス(1996~2002)-オリックスブルーウェーブ(2003) 
持ち球 : ストレート、スライダー、チェンジアップ、スローカーブ

選手概要

社会人時代は都市対抗に3回出場。MAX147kmのストレートとスライダー、チェンジアップを投げるという前評判で、1995年にドラフト3位でダイエーに入団した。

即戦力として期待されたが、1年目は一軍登板なし。二軍でも6試合の登板に留まった。

どうも当時は肩痛など怪我があったようだが、登板が少なかった理由はそこにあるかもしれない。

それでも2年目は二軍で13試合に登板すると、10月に一軍で2試合に先発。10月12日のロッテ戦で見事初勝利を挙げた。

3年目となる1998年は故障の影響で不調に。春先に一軍で3試合投げて結果を残したが、登録抹消。その後も二軍で13試合を投げて防御率7.00と活躍を見せることができなかった。

4年目の1999年開幕前に肩痛は完治したようだが(1998年開幕前という情報もあるが詳細不明)、今度は制球難に苦しんだ。元々コントロールがいいほうではなかったが、一軍で3回1/3を投げて与四球9では厳しい。

しかし、5年目に才能が開花し、14登板、12先発を果たした。ストレートこそ怪我の影響で遅くなったものの、ドロンとしたスローカーブを投げるように。

これが効果的で、同年のある試合では、141kmのストレートと、96kmのスローカーブの緩急差で攻めたようだ。ちなみに、このスローカーブは王監督から「パラシュートカーブ」と命名され、少し話題となった。

さらに同年は無四球完封勝利も挙げており、さらなる飛躍が期待された。

ところが、翌2001年は膝の故障で1試合の登板に留まり、2002年も1試合の登板に終わると、オフに戦力外通告。テスト入団でオリックスへと移籍した。

2003年のオリックスは投手陣が壊滅状態ということもあり期待されたが、27試合を投げて防御率10.13と滅多打ち。34回2/3を投げて与四球24と制球にも苦しんだ。この成績では残留は厳しく、オフに再び戦力外となった。

たびたびの故障とコントロールの悪さに苦しんだという印象。それでも怪我で球速が落ちてから、スローカーブを磨くなど転身を図り、活躍した年があったことは見事。

 

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