プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

村上義則(中日)

村上 義則

むらかみ・よしのり
生年月日:1950年6月15日
投打  :左投げ右打ち→左投げ左打ち→左投げ右打ち
身長/体重:178cm/75kg
ポジション:投手
出身  :広島県(香川県とする資料もある)
ドラフト:1970年4位
経歴  :小豆島高校-大倉工業-中日ドラゴンズ(1971~1977)
球種  :不明

選手概要

奇跡の復活を果たした左腕。

小豆島高校時代から活躍を見せ、1968年に阪急からドラフト11位で指名されたが、入団を拒否。

高校卒業後は大倉工業へ入社した。

1970年に中日からドラフト4位で指名されて入団。「球威やスピードはないが、クセ球を投げる」という前評判だった。

プロ1年目~4年目

1年目の1971年は二軍で1試合に登板。0勝0敗、防御率18.00を記録した。同年は肩を痛めたため、ほとんど登板がなかった。

2年目の1972年は登録が「左投げ右打ち」から「左投げ左打ち」へ変更に。同年に一軍デビューを果たし、2試合に登板。0勝0敗、防御率0.00を記録した。

3年目の1973年は一軍登板なし。二軍では登板数不明、4勝6敗、防御率3.68を記録した。

4年目の1974年は6試合に登板。1勝1敗、防御率4.80を記録した。

同年は、10月14日に行われた長嶋茂雄の引退試合で登板し、長嶋にプロ野球人生最後の本塁打を打たれたことで話題となった。

プロ5年目

5年目の1975年は登録が「左投げ左打ち」から「左投げ右打ち」へ戻ることに。二軍で1試合に登板。0勝0敗、防御率0.00を記録した。

同年4月に行われた二軍戦で、走塁中に脚をベースにひっかけて転んでしまい、左脚複雑骨折の大怪我を負った。医師から「今後、野球どころか歩行出来るかすら危うい」と言われるほどの重傷だったという。

村上は「もう野球ができない」と絶望的な気持ちになり、打ちひしがれていたが、その試合をたまたま見ていた少年野球ファンたちが「あのピッチャーを励ましてあげよう」と言い、毎週日曜日に病院へお見舞いに来るようになった。

そんな少年ファンたちに励まされた村上は立ち直り、退院後は歩行のリハビリを始めた。

プロ6年目

6年目の1976年は、2月に軽いランニングが出来るようになるまで脚が復活。さらに9月29日に行われたヤクルト戦で、一軍復帰登板を果たした。

同年は6試合に登板。0勝0敗、防御率0.00を記録した。

プロ7年目

7年目の1977年は6試合に登板。0勝0敗、防御率9.00を記録した。

同年限りで中日を退団。

野球人生が終わるかと思われるほどの大怪我から、一軍で登板が出来るまで立ち直った点は見事。

苦しいリハビリを乗り越えた精神力にも拍手を送りたい。

 

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