萩原 淳
はぎわら・じゅん
生年月日:1973年8月20日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:182cm/88kg
ポジション:内野手→投手
出身 :東京都
ドラフト:1991年2位
経歴 :東海大学甲府高校-オリックス・ブルーウェーブ/バファローズ(1992~2007途)-北海道日本ハムファイターズ(2007途)-東京ヤクルトスワローズ(2008~2010)
球種 :ストレート、スライダー、フォーク、縦のカーブなど
※野手成績は打席に立った年度のみ記載
選手概要
内野手から投手へ転向した、異色の選手。
高校時代
東海大学甲府高校時代は主に遊撃手としてプレーし、2年春と3年春に甲子園へ出場。2年生の時は準決勝で敗退したものの、本塁打を1本放った。3年生の時は1回戦で敗退。当時の1年先輩に榎康弘などがいる。
1991年にドラフト2位でオリックスへ入団。「高校通算25本塁打の大型内野手」「松永浩美二世」という前評判だった。ちなみに、ドラフト同期に田口壮、イチローなどがいる。
オリックス1年目~3年目
1年目の1992年は二軍で29試合に出場。打率.128、0本、2打点を記録した。また、守備では三塁、遊撃、一塁と複数のポジションを守った。
2年目の1993年は二軍で70試合に出場。打率.211、3本、17打点を記録した。
3年目の1994年は二軍で35試合に出場。打率.170、1本、3打点を記録した。
オリックス4年目~6年目
4年目の1995年は二軍で79試合に出場。打率.153、3本、19打点を記録した。同年は二軍の正三塁手として出場機会を得たが、打撃成績が伸びなかった。
5年目の1996年に一軍デビュー。4試合に出場し、打率.333、0本、0打点を記録した。二軍では86試合に出場。打率.272、8本、41打点を記録した。同年は二軍の7月月間MVPに輝き、ジュニアオールスターへも出場するなど、前進を感じさせる年となったが、オフに左肩を手術した。
6年目の1997年は1試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。一軍での出番は増えなかったが、二軍では71試合に出場。打率.297、5本、42打点と自己ベストとなる成績を残した。
オリックス7年目~9年目
7年目の1998年は2試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。二軍では90試合に出場。打率.198、0本、19打点と大きく成績を落とした。
8年目の1999年は一軍出場なし。二軍では94試合に出場。打率.225、3本、20打点を記録した。
9年目の2000年6月に内野手から投手へ転向。これは、コーチや仰木彬監督から強肩を評価されてのコンバートだった。同年は二軍で50試合に出場し、打率.229、3本、8打点を記録。投手としては、二軍で8試合に登板。0勝2敗、防御率4.84を記録した。
オリックス10年目~12年目
10年目の2001年に一軍初登板。1試合を投げ、0勝0敗、防御率0.00を記録した。二軍では28試合に登板。1勝2敗3セーブ、防御率3.97を記録した。
11年目の2002年は48試合と登板増。一時期は抑えも務め、3勝4敗10セーブ、防御率2.64を記録した。
12年目の2003年は42試合に登板。1勝3敗4セーブ、防御率6.90と成績を落とした。
オリックス13年目~15年目
13年目の2004年は33試合に登板。0勝1敗、防御率7.00と2年続けて不調の年となった。同年オフに球団が合併し、オリックス・バファローズ所属となった。
14年目の2005年は49試合に登板。3勝2敗1セーブ8Hを記録した。同年は6月5日に先発登板したあと、6月6日の移動日を挟み、6月7日に2試合連続で先発登板という離れ業を演じて話題となった。
15年目の2006年は33試合に登板。3勝4敗4H、防御率5.14を記録した。
日本ハム時代
16年目の2007年は開幕から一軍登板がなく、6月28日にトレードで歌藤達夫と共に日本ハムへ移籍。交換相手は清水章夫&木元邦之だった。
同年は5試合に登板。1勝0敗1H、防御率5.63を記録した。日本シリーズでもリリーフとして登板したが、オフに戦力外となり、チームを退団。
トライアウトを経て、ヤクルトへ移籍。
ヤクルト時代
翌2008年は25試合に登板。1勝0敗、防御率5.63を記録した。
翌2009年は34試合に登板。1勝1敗7H、防御率4.81を記録した。同年は成績を向上させたが、9月に右肩痛のため二軍へ降格し、翌年以降に不安を持たせた。
復活を遂げたい翌2010年だったが、一軍登板なし。二軍では8試合に登板。3勝1敗、防御率2.25を記録したが、オフに再び戦力外となった。
同年限りで現役を引退。
引退後
翌2011年~2013年は四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチを務めた。
翌2014年~2015年は高知ファイティングドックスの野手コーチを務めた。
翌2016年~2018年は愛媛で野手コーチを務めた。
翌2019年~2020年はルートインBCリーグ・滋賀ユナイテッドベースボールクラブで総合コーチを務めた。
翌2021年~2022年は富山GRNサンダーバーズの投手コーチを務めた。
引退後は特異な経験をもとに、投手も野手も指導できる珍しいコーチとして重宝されている。
選手分析
球種:2002年はスライダー、フォーク、チェンジアップなどを投げていた。本人曰く、フォークは野田浩司に教わったもの。翌2003年からは縦に割れるカーブ、カットボールも投げ始めている。2005年頃は主にスライダー、フォーク、カーブの3球種を投げていた。また、2009年はスライダー、フォーク、カーブ、カットボールを投げた。
球速:2002年頃「MAX150kmのストレートを投げる」「140km台後半のストレートを投げる」と球の速さを評価されていた。その後も球速は衰えず、2009年には自己最速となる154kmを記録。
タイプ:メディアからは「荒削り」と評されることが多かった。150kmのストレートと落差のあるフォークを武器に三振を奪うが、四球を与えることもたびたびあったため、そう評されたと思われる。
【1991年オリックスドラフト指名選手】
1位:田口壮
2位:萩原淳
3位:本東洋
4位:鈴木一朗
5位:北川晋
6位:西芳弘
7位:山本大貴
新外国人:トーベ、マルチネス