福家 雅明
ふくや・まさあき
生年月日:1959年4月10日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:185cm/71kg
ポジション:投手
出身 :兵庫県
ドラフト:1981年4位
経歴 :天理高校-三菱自動車川崎-阪神タイガース(1982~1988)- 近鉄バファローズ(1989)
持ち球 :ストレート、SFF、カーブ、スライダー
選手概要
右腕。
天理高校時代は甲子園に通算4度出場。1977年春の甲子園では、山沖之彦を相手にしたが敗れた。ちなみに当時はストレートとカーブしか投げていなかったという情報がある。
その後、社会人の三菱自動車川崎を経て、1981年にドラフト4位で阪神へ入団。投げ下ろすストレートとフォーク(SFF)を武器とする投手で、他にカーブ、スライダーも投げていた。
阪神1年目~3年目
1年目の1982年は17試合に登板。しかし、0勝1敗、防御率5.23といまひとつの成績。コントロールが悪いという欠点があり、同年は主に敗戦処理を中心に投げた。
2年目の1983年は13試合に登板。0勝0敗、防御率9.90を記録した。
3年目の1984年は30試合と登板増。0勝3敗、防御率5.43を記録した。
阪神4年目~7年目
4年目の1985年は8試合に登板。0勝0敗、防御率6.91と成績を落とした。
5年目の1986年は12試合に登板。0勝0敗、防御率2.95と好投を見せた。
6年目の1987年は14試合に登板。0勝1敗、防御率4.26を記録した。
7年目の1988年は1試合に登板。0勝0敗、防御率0.00を記録した。
オフ(1989年1月21日)にトレードで近鉄へ移籍。福家+佐藤秀明と住友一哉+南秀憲の交換だった。
近鉄時代
翌1989年は一軍登板なし。二軍では4試合に登板。0勝0敗、防御率9.45を記録した。
同年オフに近鉄を退団。
引退後
引退後はテレビの制作会社「大阪東通」へ入社し、さらにskyAへと移った。skyAでは番組ディレクターも務め、野球番組を手掛けた。