プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

東瀬耕太郎(大洋/ロッテ/広島など)

東瀬 耕太郎

あずせ・こうたろう
生年月日:1967年5月6日
投打  :左投げ左打ち
身長/体重:178cm/78kg
ポジション:投手
出身  :熊本県
ドラフト:1989年2位
経歴  :九州学院高校-明治大学-横浜大洋ホエールズ(1990~1992)-千葉ロッテマリーンズ(1993~1996)-広島東洋カープ(1997~1998)-中日ドラゴンズ(1999)-大阪近鉄バファローズ(2000)
球種  :クセ球のストレート、スライダー、カーブ

選手概要

5球団を渡り歩いた左腕。

高校時代は3年夏に県大会決勝戦で敗れるなどし、甲子園出場はならず。

明治大学へ進学後、4年春からエース格となり、通算7勝4敗(5敗という資料もあり)、防御率3.62を記録した。この実績から「六大学ナンバーワン左腕」と呼ばれ、ドラフト候補に。

しかし、本人は「野球は大学まで」と決めており、一般企業の安田信託銀行から内定を貰っていた。だが、1989年のドラフトで大洋が2位指名。交渉は難航し、入団が決まったのは年明けの1990年1月だった。

大洋時代

1年目の1990年8月にプロ初登板。同年は10試合に投げ、1勝3敗、防御率4.11を記録した。

このまま出番を増やしたいところだったが、2年目の1991年は8試合に投げたのみで、0勝1敗、防御率3.38という成績だった。

3年目の1992年は前半戦で23試合投げるも、後半戦は1試合先発したのみ。この試合で0回2/3を投げて5失点したため、防御率が4点台から6.15と大幅に悪化してしまった。

4年目の1993年、開幕直前にロッテへトレードで移籍。相手は永野吉成だった。

ロッテ時代

同年はサイドスローへ転身し、10試合に登板。0勝1敗、防御率4.91という成績だった。

翌1994年はシーズン最終戦で1試合投げたのみ。二軍では24試合を投げ、5勝3敗4セーブ、防御率2.03を記録した。

翌1995年は一軍登板なし。二軍では34試合に投げ、1勝2敗、防御率4.00という成績だった。

翌1996年も一軍での登板は4試合に留まり、防御率も10.80だった。二軍では19試合、0勝1敗1セーブ、防御率2.23と好成績だったものの、オフに自由契約となり、広島へ移籍。

広島時代

翌1997年はフォームをオーバースローへと戻し、自己最多となる37試合に登板。すべてリリーフでの起用で、1勝0敗、防御率5.26を記録した。

しかし、翌1998年は13試合、0勝1敗、防御率6.00という成績で、再び自由契約に。今度は中日へテスト入団した。

中日時代

だが、翌1999年は2試合を投げたのみで、オフにトレードで近鉄へ移籍。東瀬+門倉健+古池拓一と小池秀郎+佐野重樹+善村一仁の交換という大型トレードだった。

近鉄時代~引退まで

翌2000年は7試合、0勝0敗、防御率6.00という成績で、現役を引退。同年は6回を投げて与四球12、与死球2、暴投3とコントロールに苦しめられた。

クセ球のストレート、スライダー、カーブを投げた。また、入団時は「ストレートが140km出る」と言われていた。

 

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