プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

五月女豊(阪神/西武/大洋など)

五月女 豊

さおとめ・ゆたか
生年月日:1949年4月13日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:180cm/82kg
ポジション:投手
出身  :栃木県
ドラフト:1972年1位
経歴  :鹿沼農商高校-日本石油-阪神タイガース(1973~1975)- 太平洋クラブ/クラウンライター/西武ライオンズ(1976~1981)-横浜大洋ホエールズ(1982~1984)
球種 : ストレート、大小のスライダー、シュート、ライオンズ時代にフォークも覚えた

選手概要

主にリリーフで活躍した右腕。

高校では1967年夏に甲子園出場するが1回戦で敗退。

社会人の日本石油へ進むと、1972年に日本生命を相手にノーヒットノーランを達成するなど活躍を見せ、同年、阪神からドラフト1位指名を受けて入団。「シュートとカーブが武器の技巧派」という前評判だった。

阪神時代

1年目の1973年は4試合に登板。0勝2敗、防御率6.00という成績で、即戦力とはならなかった。

2年目の1974年は9試合に登板。1勝0敗、防御率3.00を記録した。

3年目の1975年は10試合に登板。0勝0敗、防御率3.46を記録した。

目立った活躍がないまま、同年オフの12月23日に片岡新之介とのトレードで太平洋へ移籍。

太平洋/クラウンライター/西武時代

新天地で迎えた翌1976年は22試合と登板増。1勝1敗、防御率3.67を記録した。

翌1977年は21試合に登板。2勝4敗1セーブ、防御率4.91を記録した。

翌1978年は35試合に登板。2勝2敗、防御率3.35を記録した。

翌1979年は26試合に登板。3勝1敗、防御率4.23を記録した。

リリーフで頭角を現してきたが、翌1980年は7試合と登板減。0勝0敗、防御率5.54を記録した。

翌1981年は一軍登板なし。二軍では23試合に登板し、5勝4敗2セーブ、防御率1.86と好投したが、チャンスを貰えなかった。

同年オフの12月10日に無償トレードで大洋へ移籍。

大洋時代

すると、翌1982年は自己最多となる58試合を投げ、6勝3敗、防御率3.56と結果を残した。

のちに本人が語ったところによると、クラウンライター時代に、監督の根本陸夫からフォークを投げるように言われて投げ始めたことが、この活躍に繋がったとのこと。

しかし、登板が大きく増えたことが影響したのか、翌年以降はひじ痛に悩まされて不調に。

翌1983年は26試合、3勝2敗、防御率5.71を記録。

翌1984年は17試合、0勝2敗、防御率3.42を記録。

同年限りで現役を引退した。

引退後

引退後は地元・栃木県に戻り、保険代理店の代表となった。

選手分析

・140kmを越えるストレートと大小のスライダー、シュート、クラウンライター以降は根本から教わったフォークボールも投げた。

 

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