プロ野球歴代選手名鑑

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山本幸二(巨人)

山本 幸二

やまもと・こうじ
生年月日:1963年11月14日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:179cm/73kg
ポジション:捕手
出身  :愛知県
ドラフト:1981年2位
経歴  :名古屋電機高校-読売ジャイアンツ(1982~1991)

選手概要

右肩痛に苦しめられた捕手。

高校時代は工藤公康とバッテリーを組み、活躍。1981年の夏には甲子園ベスト4まで進んだ。

同年のドラフトで巨人から2位指名を受けて入団。当時巨人には山本功児も在籍しており、二人の「やまもと・こうじ」として話題になった。また、前評判は、俊足で強肩、高校通算盗塁阻止率9割を誇るというものだった。

1年目の1982年は二軍で7試合に出場し、打率.000、0本、0打点という成績。1打席しか立たず、もっぱら二軍で基礎力アップに励んだ。

2年目の1983年は二軍で17試合と出場機会を増やし、打率.211、1本、3打点を記録(一部資料には打率.221とあったが、19打数4安打のため打率.211が正しいと思われる)。

3年目の1984年に一軍初出場。2試合で2打席に立ち、打率.000、0本、0打点を記録した。

さらに4年目の1985年は、一軍で41試合に出場し、打率.242、2本、7打点と、控え捕手として存在感を発揮。いよいよ一軍定着かと思われた。

しかし、5年目の1986年は、どうやら右肩痛を発症したようで一軍出場なし。怪我以外に、有田修三が近鉄から移籍し、二番手捕手となったことも影響したかと思われる。

二軍では44試合に出場し、打率.252、3本、12打点を記録したが、悔しいシーズンとなった。

6年目の1987年も、二軍では51試合に出場し、打率.353、5本、31打点を記録したが、一軍出場はなし。

7年目の1988年は右肩痛のため、一軍・二軍共に出場なし。

8年目の1989年は、肩がなかなか完治しないまま二軍で38試合に出場したが、打率.226、2本、9打点という成績だった。また、オフには右肩板を部分断裂し、練習生扱いに。

翌1990年8月に選手登録されたが、肩は全盛期のようには戻らず。この年に二軍で一塁手への転向を打診されたが「捕手で勝負させてください。ダメなら身を引きます」と語り、断ったようだ。ちなみに同年は二軍で2試合に出場したのみで、打率.000、0本、0打点という成績だった。

決死の覚悟で迎えた翌1991年だったが、一軍・二軍共に出場がなく、同年限りで現役を引退。

引退後もブルペン捕手やスコアラーとして巨人に残り続けた。

 

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