高橋 寛
たかはし・ひろし
生年月日:1951年12月20日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:178cm/86kg
ポジション:捕手
出身 :島根県
ドラフト:1976年5位
経歴 :江津工業高校-松下電器-ヤクルトスワローズ(1977~1984,1986)
選手概要
ヤクルトに長く携わった捕手。
江津工業高校時代は、1年後輩の三沢淳とバッテリーを組んだ。
高校卒業後は松下電器へ入社。福間納、山口高志らとバッテリーを組んだ。
1973年に阪神から5位指名を受けたが、入団を拒否。1976年にヤクルトから5位指名を受け、今度は入団。「大型捕手」「強打が長所」という前評判だった。
プロ1年目~3年目
1年目の1977年は4試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。二軍では26試合に出場。打率.188、0本、7打点を記録した。
2年目の1978年は10試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。二軍では8試合に出場。打率.161、1本、6打点を記録した。
3年目の1979年は1試合に出場。しかし、0打席に終わった。二軍では24試合に出場。打率.246、2本、13打点を記録した。
プロ4年目~6年目
4年目の1980年は2試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。二軍では41試合に出場。打率.278、1本、14打点を記録した。
5年目の1981年は一軍出場なし。二軍では69試合に出場。打率.269、5本、30打点を記録した。
6年目の1982年も一軍出場なし。二軍では17試合に出場。打率.196、0本、5打点を記録した。
プロ7年目~引退まで
7年目の1983年は一軍・二軍共に出場なし。同年以降は選手名鑑にも名前が載っていないため、選手登録されたままブルペン捕手を務めていたと思われる。
8年目の1984年も一軍・二軍共に出場なし。
同年限りで選手登録を外れ、裏方へ転身。
翌1985年はヤクルトのブルペン捕手を務めたが、翌1986年に選手登録された。しかし、一軍・二軍共に出場はなく、同年限りで再び選手登録を外れ、現役を引退。
引退後
翌1987年~1989年はヤクルトのブルペン捕手、1990年~1993年はチームスタッフ、1994年~2000年はブルペン捕手、2001年は一軍バッテリーコーチ補佐兼ブルペン担当、2002年~2004年は一軍ブルペンコーチ、2005年は一軍バッテリー兼ブルペンコーチ、2006年~2007年は二軍育成コーチ、2008年は二軍バッテリーコーチ、2009年~2010年は二軍育成コーチ、2011年~2012年はブルペン捕手を務めた。
エピソード
・「練習熱心」「若手投手たちの兄貴分」と言われていた。ブルペン捕手・コーチとしてチームに残ることができた理由もそこにあるか。
【1976年ヤクルトドラフト指名選手】
1位:酒井圭一
2位:梶間健一
3位:松崎泰治
4位:黒坂幸夫
5位:高橋寛
6位:吉川盛男
ドラフト外:川畑盛幸