鈴木 博昭
すずき・ひろあき
生年月日:1946年11月10日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:177cm/81kg
ポジション:内野手
出身 :埼玉県
ドラフト:1973年2位
経歴 :大宮商業高校-三菱自動車川崎-中日ドラゴンズ(1974~1978)
選手概要
社会人野球で名を馳せた内野手。
アマチュア時代
大宮商業高校を卒業後、三菱自動車川崎へ入社。1973年に行われた都市対抗では、日本鋼管の補強選手として強力打線の一角を担い、チームの優勝に貢献した。同大会では決勝戦で本塁打も放っている。
また、国際大会の経験も豊富で、1972年に行われたアマチュア野球世界選手権、1973年に行われたアジア野球選手権、インターコンチネンタルカップで日本代表に選ばれている。
さらに1972年、1973年には二塁手として社会人ベストナインにも輝いた。
こうした活躍から将来の監督候補と目されており、年齢も27歳であったことからプロ入りはないものと思われていたが、1973年に中日からドラフト2位で指名され、入団。
入団時の前評判は「攻守共に高いレベルにある二塁手」「パワーヒッター」というものだった。また、既に結婚していたため、愛知県へ単身赴任することも話題となった。
プロ1年目~引退まで
即戦力と期待されたが、1年目の1974年は一軍出場なし。二軍では試合数不明、打率.190、0本を記録した。
2年目の1975年は二軍で46試合に出場。打率.148、0本を記録した。
3年目の1976年は二軍で56試合に出場。打率.231、4本を記録した。
4年目の1977年に一軍デビュー。25試合に出場し、打率.136、0本、0打点を記録した。
しかし、5年目の1978年は一軍出場なし。二軍では70試合に出場。打率.285、14本、52打点、5盗塁を記録し、ウエスタンリーグ本塁打王に輝いた。
だが、既に32歳という年齢であったことも影響したか、同年限りで現役を引退。
社会人屈指の打者だったが、プロの壁に阻まれた。