島崎 毅
しまざき・たけし
生年月日:1967年3月3日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:180cm/82kg
ポジション:投手
出身 :千葉県
ドラフト:1991年4位
経歴 :東京学館高校-国士舘大学-NTT北海道-日本ハムファイターズ(1992~1998)-中日ドラゴンズ(1999~2000)-広島東洋カープ(2001)
球種 :ストレート、シンカー、カーブ、スライダー
選手名鑑
リリーフ右腕。
アマチュア時代
成田小学校5年生のときに野球を始める。中学生時代は三塁手としてプレー。
東京学館高校へ進学後、投手へ転向。
高校卒業後は国士舘大学へ進学。東都大学2部リーグで通算15勝14敗を記録。
大学卒業後はNTT北海道へ入社。1990年に日本選手権でベスト8まで進出。さらに世界選手権の代表へ選ばれた。翌1991年には都市対抗へ出場したが、初戦で松下電器に完投負け。
同1991年にドラフト4位で日本ハムへ入団。「MAX143kmのストレートとフォークが武器」という前評判だった(MAX145kmとする選手名鑑もある)。
日本ハム1年目~3年目
1年目の1992年は14試合に登板。0勝0敗、防御率7.13を記録した。同年は24回を投げて奪三振25とイニング以上に三振を奪ったが、被本塁打5と一発を浴びる場面が多く、与四死球19と制球も荒れていた。
2年目の1993年は1試合に登板。0勝0敗、防御率6.75を記録した。二軍では17試合に登板。1勝2敗1セーブ、防御率4.47を記録した。同年はフレッシュスターへ出場。1回を投げて三者三振を記録した。また、この年に右肩を故障。
3年目の1994年は怪我の影響もあり、一軍登板なし。二軍では10試合に登板。0勝1敗、防御率2.31を記録した。
日本ハム4年目~6年目
4年目の1995年はチーム最多となる51試合に登板。9勝7敗3セーブ、防御率2.00を記録した。右肩故障から復帰し、中継ぎとしてチームを支えた。
5年目の1996年は54試合に登板。5勝4敗14セーブ16ホールド、防御率2.31を記録し、最多ホールドに輝いた。同年は、前半戦は中継ぎ、中盤戦以降は金石昭人に代わる抑えとして投げた。
6年目の1997年は49試合に登板。6勝7敗11セーブ、防御率3.98を記録した。同年は登板過多による疲労があったか、成績を落とした。
日本ハム7年目
7年目の1998年は23試合に登板。0勝1敗、防御率3.06を記録した。同年は右脇腹を痛めたため、後半戦は投げられなかった。
同年11月6日に金銭トレードで中日へ移籍。
中日時代
翌1999年は5試合に登板。0勝0敗、防御率4.05を記録した。二軍では44試合に登板。3勝2敗10セーブ、防御率1.37を記録した。
翌2000年は一軍登板なし。二軍では23試合に登板。2勝1敗、防御率4.70を記録した。
同年限りで中日を戦力外となり、入団テストを経て広島へ移籍。
広島時代
翌2001年も一軍登板なし。二軍では15試合に登板。1勝2敗1セーブ、防御率2.87を記録した。
同年限りで広島を退団し、現役を引退。
引退後
翌2002年~2003年は日本ハムの二軍投手コーチ、2004年は一軍投手コーチ、2005年は一軍投手・ブルペンコーチ、2006年~2009は二軍投手コーチ、2010年は一軍投手コーチ、2011年~2012年は二軍投手コーチ、2013年は一軍投手コーチ、2014年~2016年はプロスカウト、2017年~2019年は二軍育成コーチ、2020年~2021年は二軍投手コーチ、2022年は一軍投手コーチ、2023年は二軍投手コーチを務めた。
2024年は富山GRNサンダーバーズの投手コーチを務めた。
同年12月3日に台湾・富邦ガーディアンズの二軍投手コーチへ就任することが発表された。
選手分析
投法:サイドスロー
球速:140km台前半のストレートを投げた。
球種:シンカーを武器とした。他にカーブ、スライダーを投げた。前述したとおりプロ入り時に「フォークが武器」と言われたが、『江川卓スカウティングレポート』を読む限り、プロ入り後は投げていないと思われる。
対左:右投げだが、左打者を得意とした。
エピソード
・一時期、サバイバルゲームが趣味だった。