田端 謙二郎
たばた・けんじろう
生年月日:1946年5月8日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:178cm/75kg
ポジション:投手
出身 :熊本県
ドラフト:1965年1位
経歴 : 鎮西高校(熊本県)-電電九州-近鉄バファローズ(1966~1971)
球種 :ストレート、カーブ、シュート
選手概要
ドラフト1位右腕。
鎮西高校時代は、同期に小平誠司などがいた。
高校卒業後は電電九州へ入社。1965年に大分鉄道管理局の補強選手として都市対抗へ出場し、サッポロビールや全鐘紡を相手に勝ち星を挙げるなど活躍を見せた。
同年に行われた第1回ドラフト会議で、近鉄から1位指名を受けて入団。「カミソリシュートが武器」という前評判だった。ちなみに、この年に2位で指名された選手が、のちに近鉄を代表する左腕となる鈴木啓示。その鈴木より評価が上だったということになる。
プロ1年目
ドラフト1位投手ということで将来を期待されたが、1年目の1966年、コーチから開幕に間に合うように急かされたせいで、肩を痛めてしまった。
痛めた状態で開幕5試合目の阪急戦に登板したが、1回2/3を投げて被安打2、四球1、自責3という成績で降板。
結局1年目はこの1試合を投げ、0勝0敗、防御率13.50を記録したのみ。その後は肩の治療にあたるため、二軍ではピッチングをせず、シーズンの大半を熊本県の実家で過ごした。
プロ2年目
2年目の1967年はオープン戦から好投を見せ、5月14日の西鉄戦で初勝利を完投で達成。この試合では、相手先発の稲尾和久と投げ合い、被安打5、奪三振6、四死球2、失点1と結果を残した。
しかし、白星を挙げた試合はこの1試合のみ。その後は成績が上がらず、同年は19試合、1勝6敗、防御率6.24という結果に終わった。
プロ3年目~引退まで
3年目の1968年は、腰を故障。6試合に投げ、0勝1敗、防御率2.00を記録するに留まった。
4年目の1970年は一軍登板なし。二軍で登板数不明、4勝6敗、防御率2.66を記録した。
5年目の1971年も一軍登板なし。二軍で登板数不明、0勝1敗、防御率3.00を記録した。
同年限りで現役を引退。
引退後
引退後は、打撃投手兼スコアラーへ転身。1989年まで務めた。
退団から40年以上経った2018年、第8回WBSC女子野球ワールドカップでひさびさに田端の名前が注目された。
孫で女子プロ野球選手の田端凛々花捕手が、代表選手となったためである。祖父の田端謙二郎は怪我により目立った活躍を見せられなかったが、その才能は孫に受け継がれている。
選手分析
球種:落差のあるカーブとシュートを投げた
投法:サイドスローとする情報とオーバースローとする情報があり、どちらが正しいか不明。