プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

G.G.佐藤(西武/ロッテ)

G.G.佐藤(佐藤 隆彦)

じーじーさとう
生年月日:1978年8月9日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:184cm/94kg
ポジション:捕手/内野手/外野手
出身  :千葉県
ドラフト:2003年7位
経歴  :桐蔭学園高校-法政大学-フィリーズ1A-西武ライオンズ(2004~2011)-ボローニャ(2012)-千葉ロッテマリーンズ(2013~2014)

選手概要

フルスイングと明るい性格で人気を博したパワーヒッター。

中学時代は野村佐知代がオーナーを務める、港東ムースでプレー。その後、桐蔭学園高校から法政大学へ進学し、三塁や遊撃を守った。

大学卒業後は渡米し、フィリーズの1Aへ入団。この入団テストのときに強肩を見込まれ、捕手へと転向した。

翌2002年に帰国したあと、西武の入団テストを受けて合格。2003年のドラフトで7位指名を受け、入団した。この時すでに26歳だった。

西武時代

1年目の2004年は捕手としての出場はなく、一塁手としてのみ出場。自慢の打力を活かし、45試合で打率.298、3本、8打点と結果を残した。

翌2005年こそ37試合、打率.214、2本、3打点と結果を落としたが、二軍では43試合、打率.372、13本と好成績を残していた。

翌2006年に外野へと転向すると、2007年に136試合、打率.280、25本塁打、69打点とブレイク。

とにかくスイングが力強く、特にストレートには無類の強さを発揮した。さらに高めも強く、不用意にストレートをインハイなどに投げるとスタンドに持っていく怖さがあった。一方でフォークはあっさりと空振りする場面もあり、この辺りは弱点がはっきりしていた印象。

翌2008年はさらに成績を伸ばし、105試合、打率.302、21本、62点と結果を残した。

しかし、同年は北京五輪で3失策を犯し、日本中の野球ファンから叩かれるという辛い経験も。本人曰く「死にたい」と思うほどメンタルに来るエラーだったようだ。

この時のイメージから「GG=守備が下手」と思われがちだが、特別下手ではなく肩も強かったように記憶している。

負の経験こそしたが、それでも翌2009年は136試合、打率.291、25本、83打点と変わらず好成績を残した。

しかし、翌2010年は53試合、打率.204、6本、19打点と絶不調に陥り、オフに肩と肘を手術。さらに翌2011年は一軍出場がなく、オフに戦力外となった。

あまりにもあっさりと戦力外になったと思われたが、これはGG佐藤がたびたび年俸交渉で球団と揉めていたことも影響したか。

イタリア・ロッテ時代

去就が注目されたが、選んだ道はまさかのイタリアプロ野球。ボローニャへ入団し、打撃で結果を残した。

しかし、途中で退団すると富山のクラブチームへ入団。さらにオフにロッテの入団テストを受けて合格するなど、慌ただしい1年となった。

ロッテ1年目の2013年は30試合と少ない試合数だったが、CS争いをする楽天相手に満塁弾、CSで同じく楽天を相手にスリーラン本塁打を放つなど、印象に残る活躍を見せた。

ところが翌2014年は一軍出場なし。二軍でも62試合で打率.236、3本、19打点といまひとつの結果で、オフに戦力外となった。

退団後は株式会社トラバースに就職。営業として働きながらロッテ戦の解説者も務めている。

明るい性格でファンから人気があり、ロッテ時代に代打として出場した際、相手チームである古巣・西武ファンからも歓声が挙がっていたことが印象深い。

選手分析

打撃:前述のとおり、ストレートと高めに強い。一方で落ちる球に弱さを見せた。また、広角に打球を打ち分けることができた。

走塁:盗塁数は多くないものの、西武時代は脚が速かった。

守備:エラーのイメージはあるが下手ではない。だが、ロッテ時代は一塁手として出場した際に平凡なフライを落球したことも。これは不慣れなポジションを守ったためか、五輪のエラーのトラウマがあったのか。また、肩が強く、2007年に補殺7、2008年に補殺9を記録した。

 

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