原口 哲也
はらぐち・てつや
生年月日:1967年4月14日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:181cm/75kg
ポジション:投手
出身 :埼玉県
ドラフト:1985年3位
経歴 :熊谷商業高校-西武ライオンズ(1986~1993)-福岡ダイエーホークス(1994)
球種 :ストレート、カーブ、スライダー、シュート
選手概要
高校時代は、3年春に甲子園へ出場。143kmを記録したが右肘を痛めており、1回戦で敗退した。
1985年のドラフトで3位指名を受け、西武へ入団。
西武1年目~4年目
1年目の1986年は前述の右肘痛の影響で、ほとんど走り込みの練習で終わった。だが、一応、秋頃に二軍で登板を始めており、2試合、0勝0敗、防御率0.00を記録している。
2年目の1987年はアメリカへ野球留学。そのため、一軍二軍共に登板はなかった。
3年目の1988年は一軍で18試合に登板。1勝2敗、防御率3.75の結果を残した。
4年目の1989年は4試合の登板に終わり、成績も0勝0敗、防御率5.14というものだった。しかし、二軍では16試合を投げ、4勝3敗3セーブ、防御率2.38を記録し、最優秀防御率に輝いている。
西武5年目~8年目
5年目の1990年は一軍登板なし。二軍でも14試合を投げ、0勝4敗、防御率6.55の成績だった。
6年目の1991年も2試合に投げ、0勝0敗、防御率9.00と結果を残せず。二軍でも18試合を投げて2勝4敗、防御率4.74という成績だった。
7年目の1992年も4試合を投げ、0勝1敗、防御率8.74という成績。二軍では19試合を投げ、8勝4敗1セーブ、防御率3.81と及第点の結果を残したが、上で実力を発揮できず。
翌1993年は一軍登板がなく、二軍でも3試合を投げて0勝0敗、防御率12.79と散々。オフに自由契約となり、ダイエーへ移籍した。
ダイエー時代
しかし、翌1994年も一軍登板はなく、二軍でも2試合、0勝1敗、防御率5.23という成績で、1年でダイエーを退団となった。
選手分析
投球:1989年頃の映像を見ると、140km台前半から中盤のストレートを投げていたが、1992年頃の映像では130km台後半に落ちていた。また、カーブ、スライダー、シュートを投げる投手だった。