相川 英明
あいかわ・ひであき
生年月日:1967年9月11日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:181cm/80kg
ポジション:投手
出身 :神奈川県
ドラフト:1985年5位
経歴 :横浜高校-横浜大洋ホエールズ/横浜ベイスターズ(1986~1993)
球種 :ストレート、カーブ、パーム
選手概要
高校時代、右腕ながら"愛甲二世"と呼ばれた投手。
高校3年生の時に春の甲子園へ出場し、1回戦で倉敷商業を相手に完封勝利。2回戦で敗退するも高く注目され、1985年のドラフトで地元・大洋から5位指名を受けて入団した。
当時の前評判は「140km台のストレートとカーブを投げる」「高校生離れしたスタミナがある」というもの。
プロ1年目~4年目
当時の選手名鑑には「3年後が楽しみ」と書かれていたが、1年目の1986年から25試合に登板。4勝0敗、防御率4.22と上々のデビューを飾った。
2年目の1987年も24試合に登板。3勝5敗と負け越したが、防御率3.96と前年よりも成績を向上させた。
3年目の1988年も17試合に登板し、5勝8敗を記録したが、防御率が4.88に悪化。
さらに4年目の1989年は8試合の登板に終わり、0勝0敗。防御率も6.10だった。
プロ5年目~引退まで
翌1990年は一軍登板なし。二軍では25試合、10勝4敗、防御率3.08を記録し、最多勝に輝いたが、元々は一軍で投げていた投手だけに、復活を期する声が聞こえた。
翌1991年も10月10日に1試合投げただけに終わり、防御率も9.00といまひとつ。また、二軍成績も12試合、0勝3敗1セーブ、防御率4.74と下がってしまった。
翌1992年は二軍成績を31試合、3勝1敗2セーブ、防御率1.63と改善させたが、一軍登板なし。
翌1993年も一軍登板がなく、二軍でも12試合、0勝2敗、防御率4.98という成績で、同年限りで現役を引退した。
前述したカーブの他に、パームも投げた。