青井 要
あおい・かなめ
生年月日:1964年5月1日
投打 :左投げ左打ち
身長/体重:181cm/78kg
ポジション:投手
出身 :香川県
ドラフト:1982年3位
経歴 :尽誠学園-南海ホークス/福岡ダイエーホークス(1983~1994)
球種 :ストレート、スライダー、スクリュー
選手概要
リリーフ左腕。
尽誠学園を経て、1982年にドラフト3位で南海へ入団。
プロ1年目~3年目
1年目の1983年は二軍で12試合に登板。1勝0敗、防御率4.13を記録した。28回1/3を投げて奪三振9という成績から見るに、打たせて取る投球だったようだ。
2年目の1984年に一軍デビュー。1試合に登板し、0勝0敗、防御率9.00を記録した。同年は左肩痛を発症する不運があった。
3年目の1985年は7試合に登板。0勝0敗、防御率7.88を記録した。同年は8回を投げて与四球8を記録し「制球に課題がある」と言われた。一方で「球威や球の速さはチームで1、2を争う」と評価する声もあった。
プロ4年目~6年目
4年目の1986年は一軍登板なし。二軍では16試合に登板。0勝3敗、防御率6.41を記録した。
5年目の1987年は左肘軟骨除去手術を受けたたため、一軍・二軍共に登板なし。
6年目の1988年7月にも左肘を手術。同年は二軍で6試合に登板。0勝3敗、防御率7.85を記録した。
プロ7年目~9年目
7年目の1989年は二軍で12試合に登板。1勝2敗、防御率6.67を記録した。
8年目の1990年はリーグ最多となる49試合に登板。0勝1敗、防御率5.61を記録した。この年は登板のほとんどがショートリリーフだったが、チームの戦力となった。
9年目の1991年は19試合に登板。0勝0敗、防御率6.92と成績を落とした。同年はプロ初先発を経験。
プロ10年目~退団まで
10年目の1992年は8試合に登板。0勝0敗、防御率8.10を記録した。同年オフに課題としていたスクリューを完全習得。翌年以降に期待を持たせた。
11年目の1993年は一軍登板なし。二軍では33試合に登板。1勝1敗1セーブ、防御率3.83を記録した。また、同年に投げ方をサイドスローに変えている。
12年目の1994年も一軍登板なし。二軍では14試合に登板。1勝0敗、防御率6.75を記録した。
同年限りでダイエーを退団。
選手分析
球種:前述したスクリュー以外にスライダーも投げた。
エピソード
・ドラフト同期が畠山準、大久保学、山川周一、藤本修二と全員高卒入団の投手で、青井を含めた5人がまとめて「58年組」と呼ばれていた。