プロ野球歴代選手名鑑

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有倉雅史(日本ハム/ダイエー/阪神)

有倉 雅史

ありくら・まさし
生年月日:1967年6月12日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:189cm/88kg
ポジション:投手
出身  :北海道
ドラフト:1989年6位
経歴  :北海高校-日本体育大学-日本ハムファイターズ(1990~1995)-福岡ダイエーホークス(1996~1997)-阪神タイガース(1998)
球種  :ストレート、フォーク

選手概要

3球団を渡り歩いた右腕。

上川郡という、北海道の北の方出身。高校は札幌市の北海高校を選んだ。

高校卒業時の1985年にロッテから6位指名を受けたが、入団を拒否。日本体育大学へ進学した。

ここで4年春にリーグ戦で7勝をあげ、最優秀投手・ベストナインに選ばれるなど活躍。1989年のドラフトで日本ハムから6位指名を受け、入団した。

すると、1年目の1990年から16試合に投げ、4勝を挙げる活躍。長身から投げ下ろす最速140kmのストレートと落差のあるフォークを武器に、ルーキーとしては充分の成績を残した。

しかし、2年目の1991年は9試合で0勝1敗、防御率6.91とさっぱり。二軍では4勝6敗、防御率3.77、リーグ10位の防御率を記録したが、1年目の成績を考えると、物足りなさが残った。

3年目の1992年は17試合に投げ、1勝1敗、防御率4.69という成績。可も不可もないといった成績で、年俸も現状維持の900万円のままだった。

4年目の1993年は20試合と、自己ベストの登板数を記録。3勝2敗、防御率4.04を記録した。また、同年オフに右肘軟骨除去の手術を受けている。

翌1994年は手術の影響で、登板減。12試合、0勝1敗、防御率4.75の成績に留まった。

翌1995年は初の一軍登板なし。二軍では24試合に登板し、6勝9敗1セーブ、防御率3.09を記録した。

すると、オフに西俊児とのトレードでダイエーへ移籍。伸び悩みが続いているだけに、環境の変化が転機になるかと思われた。

翌1996年は後半戦でリリーフに定着。11試合に登板したが、0勝2敗1セーブ、防御率5.52という成績だった。

翌1997年は3試合の登板のみ。二軍では20試合に投げ、5勝2敗、防御率2.22を記録したが、オフに自由契約となった。

テスト入団で阪神へ移籍して迎えた翌1998年も、1試合の登板に終わり、オフに再び自由契約に。二軍では34試合に投げ、2勝1敗3セーブ、防御率2.95を記録したが、一軍でのチャンスに恵まれなかった。

引退後は、札幌国際情報高校の監督に就任し、高校球児の指導にあたっている。

 

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