プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

柴原浩(ロッテ)

柴原 浩(柴原 弘始)

しばはら・ひろし
生年月日:1969年12月29日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:176cm/78kg
ポジション:捕手
出身  :長崎県
ドラフト:1987年ドラフト外
経歴  :西日本短期大学附属高校-ロッテオリオンズ/千葉ロッテマリーンズ(1988~1997)

選手概要

高校時代は石貫宏臣とバッテリーを組み、3年に春の甲子園へ出場。また、当時は1年先輩に青柳進、2年後輩に新庄剛志がいた。

1987年オフにドラフト外で、その青柳と同じロッテへ入団。「村田兆治さんの球を受けてみたい。目標は伊東勤さん」と目標を語った。

1年目の1988年は二軍で24試合に出場し、打率.151、1本、3打点を記録。低打率だったが、島田直也からホームランを放った。

2年目の1989年は二軍で40試合に出場し、打率.272、1本、4打点と打撃成績アップ。

すると、3年目の1990年に一軍初出場を果たし、14試合、打率.143、0本、0打点を記録した。

しかし、4年目の1991年は4試合と出場減。打率も.000だった。また、二軍でも37試合、打率.196、1本、9点と打撃で苦戦。先輩の青柳や、新入団の定詰らに水をあけられた。

5年目の1992年は一軍出場なし。二軍でも29試合、打率.176、2本、7打点だった。

翌1993年は二軍で29試合、打率.267、5本、11打点と打撃成績を上げたが、一軍出場なし。

翌1994年は二軍で74試合と出場機会を増やすも、打率.212、6本、21打点と再び打撃が悪化。一軍出場もなかった。

当時のメディアの情報によると、守備や肩にまとまりはあるが、いまひとつ長所がないという評判だったようだ。

翌1995年は二軍で38試合に出場し、打率.219、2本、9打点。

翌1996年は「柴原弘始」に登録名を変えるも、一軍出場なし。二軍でも50試合、打率.226、0本、12打点に終わった。

翌1997年に二軍で40試合、打率.259、0本、7打点に終わると、同年限りで退団。

二軍成績を見る限り、三振が多いタイプだった。打撃がもう少し良ければ、出番も増えたかもしれない。

引退後は家業の農家を継いだ。

 

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