プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

塀内久雄(ロッテ)

塀内 久雄

へいうち・ひさお
生年月日:1981年7月7日
投打  :右投げ左打ち
身長/体重:180cm/82kg
ポジション:内野手
出身  :愛媛県
ドラフト:1999年4位
経歴  :三瓶高校-千葉ロッテマリーンズ(2000~2014)

選手概要

たびたび不運な事故に見舞われた内野手。

高校時代に右手を痛め、左打ちへ転向。その後、高校通算30本塁打を記録し"四国のバース"と呼ばれた。

3年夏の県大会は初戦敗退となり甲子園出場はならなかったものの、大型遊撃手としての注目度の高さは変わらず、1999年のドラフトでロッテから4位指名を受けて入団。遠投115mの強肩と強打が自慢という前評判だった。

2000年~2008年まで

1年目の2000年は、二軍で80試合に出場。打率.187、1本、10打点を記録し、二塁を42試合、遊撃を33試合守った。

2年目の2001年は、二軍で77試合に出場し、打率.211、2本、20打点を記録。

すると3年目の2002年、4月7日に一軍初出場。さらに翌8日に初打席で初ホームランを放つ快挙を成し遂げた。しかし、4月後半に靭帯断裂の大怪我。好事魔多しと言うべきか、運がなかった。

4年目の2003年もリハビリをした影響で、二軍で27試合の出場に留まった。また、打率.236、1本、5打点と打撃成績もいまひとつ。

5年目の2004年は一軍で3試合に出場するも、打率.000、0本、0打点の成績。二軍では、71試合、打率.241、6本、21打点を記録した。

6年目の2005年は15試合に出場し、打率.211、0本、1打点という成績だったが、チームに故障者が現れたこともあり、日本シリーズやアジアシリーズでチャンス到来。二塁手としてたびたびスタメン出場していた。

ちなみに同年の二軍成績は、54試合、打率.328、8本、31打点というもので、もはや二軍レベルの選手ではないと思わされる数字だった。

翌2006年は松坂大輔からホームランを放つなど光る場面はあったが、結局シーズンでは49試合、打率.206、2本、8打点という成績に終わった。

翌2007年は88試合と出場数を増やしたが、打率.187、0本、7打点とやはり打撃がいまひとつ。さらに、肝心な場面でのエラー、バント失敗などが目立ち、ロッテファンから不満の声も聞こえていた。

翌2008年は、8月に打者の折れたバットがランナーの塀内の頭を直撃するアクシデントが発生。この事故や田中雅彦などの台頭により、40試合と出場数を減らした。また、打率.153、2本、2打点という打撃成績だった。

さらに秋キャンプでは、今度は打球が頭を直撃する事故に見舞われ、頭蓋骨を骨折。災難続きの1年となってしまった。

2009年~引退まで

翌2009年は打撃好調で、54試合に出場し、打率.302、4本、10打点を記録。

しかし、翌2010年は、51試合で打率.182、0本、2打点と再び成績低下。出場の多くが一塁手の金泰均の守備固めだった。

翌2011年は西岡剛の移籍、遊撃手へコンバートされた荻野貴司の故障により、ひさびさに遊撃手としてスタメン出場する場面も見られたが、すぐにベンチへと戻ってしまった。

原因はやはり打力不足で、打率.178、0本、2打点という結果だった。

翌2012年は再び一塁の守備固めを中心に、61試合に出場。打率.118、0本、2打点を記録した。

翌2013年は36試合と出場機会を減らした。同年、塀内が負けに直結するエラーをする場面も何度か見たことがある。この辺りで信用を失ってしまったか。

また、打撃成績は打率.188、0本、2打点というものだった。

翌2014年は一軍出場なし。二軍では44試合に出場し、打率.265、0本、12打点を記録したが、オフに戦力外となった。

ユーティリティプレーヤーだが、器用貧乏でもあった印象。打力や守備の安定感があれば、もっと出番も増えていたか。西岡が移籍した2011年が大チャンスだったが。

引退後はマリーンズ・ベースボール・アカデミーのコーチを務めている。

 

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