プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

高山久(西武/阪神)

高山 久

たかやま・ひさし
生年月日:1981年11月16日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:177cm/85kg
ポジション:外野手
出身  :熊本県
ドラフト:1999年1位
経歴  :九州学院高校-西武ライオンズ(2000~2013途)-阪神タイガース(2013途~2014)

選手概要

雌伏の時を経て花開いた外野手。

九州学院高校時代は、1年秋から4番を任され、通算43本塁打を放った。2年夏と3年夏に甲子園へ出場したが、どちらも初戦敗退。当時の1年先輩に吉本亮がいる。

1999年にドラフト1位で西武へ入団。打撃だけでなく、50m5秒9の脚の速さもあり、トリプルスリーを狙える逸材という前評判だった。球団からの期待も大きく、かつて秋山幸二がつけていた「1」を与えられることに。

西武1年目~5年目

1年目の2000年は4試合に出場。打率.125、0本、0打点を記録した。二軍では91試合に出場。打率.250、7本、47打点を記録し、非凡な長打力を見せつけた。同年はフレッシュオールスターにも出場。

2年目の2001年は23試合に出場。打率.261、4本、10打点と、高卒2年目としては上々の成績を残した。二軍では78試合に出場。打率.303、12本、52打点を記録し、ビッグホープ賞を受賞した。ちなみにこの年もフレッシュオールスターに選ばれている。

3年目の2002年は34試合に出場。しかし、打率.184、1本、9打点と伸び悩んでしまった。二軍では52試合に出場。打率.291、12本、37打点と好成績を残した。

4年目の2003年は4試合に出場し、打率.000、0本、0打点とさらに成績が低下。二軍でも57試合、打率.237、9本、29打点と数字を落とした。

この結果から翌2004年、背番号が「1」から「44」へ変更に。だが同年は一軍出場なし。二軍では82試合、打率.266、8本、38打点を記録した。

西武6年目~10年目

翌2005年も21試合、打率.207、1本、4打点といまひとつの成績だったが、翌2006年に自己最多となる55試合に出場。打率.263、2本、15打点を記録した。

しかし、翌2007年は2打席連続本塁打を放つなどしたものの、最終的には29試合、打率.204、2本、7打点と成績低下。翌2008年も25試合、打率.238、0本、3点という成績で、翌2009年は3試合しか出場がなかった。

西武11年目~阪神時代

だが、プロ11年目となる翌2010年、才能が開花。116試合に出場し、打率.291、11本、48打点と自己ベストの成績を残した。数字が向上した理由のひとつとして、前年度に打撃フォームを神主打法にしたことが挙げられる。

しかし、翌2011年は19試合、打率.196、0本、2打点と成績が急落。さらに翌2012年も35試合、打率.204、1本、4打点と調子が上がらず。

翌2013年の5月21日に川崎雄介とのトレードで、阪神へ移籍。移籍後初打席で井川慶から本塁打を放つなど光る場面は見せたが、同年の成績は9試合、打率.250、2本、3打点というものだった。

翌2014年は一軍出場なし。二軍では25試合に出場し、打率.256、1本、7打点を記録した。

同年10月に戦力外通告を受け、阪神を退団。

退団後

翌2015年にライオンズアカデミーの講師に就任。

2017年から2020年までは西武のスカウトを務め、2021年は西武二軍打撃コーチ、2022年から2023年現在は一軍打撃コーチを務めている。

選手分析

打撃:左投手に強い打撃が持ち味で、2010年には対左打率.390を記録した。

 

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※参考文献『プロ野球スカウティングレポート2011』