プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

石原修治(近鉄)

石原 修治

いしはら・しゅうじ
生年月日:1958年5月25日
投打  :右投げ右打ち
身長/体重:182cm/72kg
ポジション:内野手/外野手
出身  :千葉県
ドラフト:1976年2位
経歴  :我孫子高校-近鉄バファローズ(1977~1987)

選手概要

引退後に議員となった野手。

我孫子高校を経て、1976年にドラフト2位で近鉄へ入団。「無名だが、パワーがある遊撃手」という前評判だった。

プロ1年目~5年目

1年目の1977年は二軍で33試合に出場。打率.096、0本、2打点を記録した。

2年目の1978年は二軍で61試合に出場。打率.190、3本、24打点、8盗塁を記録した。

3年目の1979年は二軍で60試合に出場。打率.291、3本、14打点、6盗塁を記録した。

4年目の1980年は二軍で64試合に出場。打率.238、4本、24打点、4盗塁を記録した。

5年目の1981年は二軍で66試合に出場。打率.256、13本、34打点を記録した。

プロ6年目~引退まで

6年目の1982年は登録が外野へ変更に。同年は一軍デビューを果たし、28試合に出場。打率.100、1本、4打点を記録した。

二軍では43試合に出場。打率.304、10本、37打点、17盗塁を記録した。

7年目の1983年は13試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。

二軍では55試合に出場。打率.275、4本、16打点、16盗塁を記録した。

8年目の1984年は1試合に出場。しかし、代走での出場だったため打席には立たず、守備にも就かなった。

二軍では69試合に出場。打率.209、2本、14打点を記録した。また、同年4月24日の南海戦では、サヨナラランニング本塁打という珍しい一打を放った。

9年目の1985年は9試合に出場。1打数1安打、打率1.000、0本、0打点を記録した。

二軍では57試合に出場。打率.264、5本、15打点を記録した。

10年目の1986年は3試合に出場。1打数0安打、打率.000、0本、0打点を記録した。

二軍では63試合に出場。打率.246、3本、18打点、19盗塁を記録した。

11年目の1987年は一軍出場なし。

二軍では66試合に出場。打率.286、1本、11打点、6盗塁を記録した。

同年限りで近鉄を退団。

2024年現在は、流山市で市議会議員を務めている。

余談だが、名字が石原のためか、あだ名が「ゆうじろう」だった。

選手分析

・俊足強肩の選手として知られた。しかし、二軍では盗塁が多かったものの、一軍では通算1盗塁、5盗塁死となかなか盗塁を決められなった。

 

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【1976年 近鉄ドラフト指名選手】
1位:久保康生
2位:石原修治
3位:應武篤良(入団拒否)
4位:渡辺麿史
5位:山本和範
6位:市川和正(入団拒否)
新外国人:バディ