プロ野球歴代選手名鑑

引退/退団したプロ野球選手のプロフィールや一軍・二軍成績を紹介するブログです

森山一人(近鉄/ダイエー)

森山 一人

もりやま・かずと
生年月日:1973年12月19日
投打  :右投げ両打ち→右投げ右打ち
身長/体重:179cm/79kg
ポジション:内野手/外野手
出身  :島根県
ドラフト:1991年6位
経歴  : 邇摩高校-近鉄バファローズ(1992~1998)-福岡ダイエーホークス(1999~2002)

選手概要

俊足野手。

中学生時代は陸上競技の選手としても活躍。

邇摩高校時代は3番打者のエースとしてプレーし、通算25本塁打を記録。3年春に甲子園へ出場し、1回戦で敗退。

1991年にドラフト6位で内野手として近鉄へ入団。「俊足強肩で、リストを利かせた打撃もいい」という前評判だった。

近鉄1年目~3年目

1年目の1992年は二軍で3試合に出場。打率.125、0本、0打点を記録した。同年はあまり試合に出ず、体作りに専念した。

2年目の1993年は二軍で49試合に出場。打率.189、1本、1打点、3盗塁を記録した。

3年目の1994年は二軍で44試合に出場。打率.289、3本、11打点、2盗塁を記録した。また、同年は内野手登録ながらほとんど外野を守った。

近鉄4年目~6年目

4年目の1995年は二軍で46試合に出場。打率.239、1本、10打点、13盗塁を記録した。同年は6月に左足首を骨折する不運に見舞われた。

5年目の1996年は登録が内野手から外野手へ変更に。二軍で72試合に出場。打率.228、0本、13打点、12盗塁を記録した。

6年目の1997年は開幕一軍入りを果たし、8試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。二軍では72試合に出場。打率.248、2本、14打点を記録した。

近鉄7年目

7年目の1998年は二軍で44試合に出場。打率.182、3本、8打点、1盗塁を記録した。

同年オフに戦力外通告を受け、近鉄を退団。テストを経てダイエーへ移籍した。

ダイエー時代(1999年~2001年)

翌1999年は9試合に出場。打率.000、0本、0打点を記録した。二軍では39試合に出場。打率.254、0本、7打点を記録した。同年は右肩の怪我があり、出場機会が少なかった。

翌2000年は7試合に出場。打率.125、1本、2打点を記録し、プロ初安打が初本塁打という快挙を達成。二軍では68試合に出場。打率.242、2本、12打点を記録した。

翌2001年は登録が両打ちから右打ちへ変更に。1試合に出場し、打率.000、0本、0打点を記録した。二軍では47試合に出場。打率.235、4本、17打点を記録した。

ダイエー時代(2002年)

翌2002年は一軍出場なし。二軍では79試合に出場。打率.258、3本、12打点、9盗塁を記録した。

同年限りでダイエーを退団。

引退後

引退後は高知ファイティングドッグス、徳島インディゴソックス、愛媛マンダリンパイレーツでコーチを務めた。高知時代の教え子に角中勝也などがいる。

2025年からは、島根県にある女子硬式野球クラブ「島根フィルティーズ」の監督を務める。

選手分析

・ダイエー時代「脚と肩と守備は一軍級」と評されたが、打撃が課題だった。

エピソード

・前述したとおり、中学生時代は陸上競技もプレーしており、ハイジャンプで178センチを記録して優勝したことがあった。
・名前の「一人」は「1人でも生きていくことができるように」「小学1年生でも書くことができるように」という理由で付けられた。

 

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【1991年近鉄ドラフト指名選手】
1位:高村祐
2位:江坂政明
3位:品田操士
4位:中村紀洋
5位:背尾伊洋
6位:森山一人
7位:上山勲
新外国人:デービス ビーン