川越 透
かわごえ・とおる
生年月日:1966年12月7日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:176cm/84kg
ポジション:捕手
出身 :兵庫県
ドラフト:1987年ドラフト外
経歴 :兵庫商業高校-大阪ガス-清水商店-南海ホークス/福岡ダイエーホークス(1988~2001)
選手概要
ドラフト外から這い上がり、14年間現役を続けた捕手。
高校時代は県大会ベスト8まで進出。1984年に阪神の入団テストを受けて合格するも入団せず、社会人の大阪ガスへ入社。しかし1ヵ月で退社し、清水商店という酒屋で働きながら、軟式野球をすることに。
その後、1987年秋に南海の入団テストに合格。前述のとおりドラフト外としてプロ入りすることとなった。
1988年~1994年まで
1年目の1988年は、二軍で15試合に出場し、打率.300、0本、1打点を記録。持ち前の打力を発揮した。
しかし、2年目の1989年は二軍で3試合に出場し、打率.000、0本、0打点とさっぱり。
さらに3年目の1990年も二軍で18試合、打率.148、0本、2打点と好成績を残せず。
だが、4年目の1991年は二軍で51試合と出番を大きく増やし、打率.292、1本、17打点と持ち味を存分に発揮。
すると5年目の1992年に一軍初出場。2試合で打率.000、0本、0打点ではあったが、プロとしての第一歩を踏み出した。ちなみに同年は二軍で57試合に出場し、打率.317、5本、31打点と自己ベストの成績を残している。
しかし、翌1993年は3月に右足首を骨折。これが原因か、二軍成績が26試合、打率.232、1本、8点といまひとつで、一軍出場もなかった。
翌1994年も一軍出場がなく、二軍で60試合、打率.269、4本、28打点という成績。この頃になると「ファームでは実力No1捕手」と言われるようになっていた。また、同年は捕手だけでなく、一塁手としても出場している。
1995年~引退まで
翌1995年は夏に正捕手・吉永幸一郎が故障離脱すると、一軍へ昇格。36試合に出場し、打率.253、0本、8点の成績を残した。
さらに翌1996年も37試合に出場。打率.235、0本、5打点ではあったが、二番手捕手として存在感を発揮した。
吉永が内野へ転向した翌1997年は33試合に出場し、打率.240、2本、5打点とパンチ力を発揮。正捕手の座は城島健司に譲ったが、二番手としての地位を掴んだ。
しかし、翌1998年は正捕手が城島、二番手が内之倉隆志となり、6試合の出場のみ。二軍でも51試合、打率.209、3本、16打点と好結果を残せなかった。また、同年オフにトレードを志願したが、結局叶わなかったようだ。
翌1999年は二軍で79試合、打率.298、7本、34打点と結果を出したが、一軍では1試合のみ。この年の契約更改時に二度目のトレード志願をしたが、やはり叶わず残留している。
翌2000年も二軍で65試合、打率.293、2本、18打点の成績を残したが、一軍では2試合のみ。
翌2001年は二軍で20試合、打率.280、2本、9打点の成績で、一軍出場なし。すると、この年限りで現役を引退した。
引退後
翌2002年からは二軍バッテリーコーチを務めたが、1年で退団。その後、2010年に女子プロ野球リーグが開始された際、兵庫スイングスマイリーズの監督に就任し、2012年前期まで務めた。
ドラフト外ながら長年に渡り現役を続けた点は見事。晩年は絶対的な正捕手・城島らがいたために出番のなさに泣いたが、二軍での打撃成績を見るに、トレードの希望が叶っていれば他球団でのチャンスもあったか。