山崎 剛
やまざき・つよし
生年月日:1961年4月26日(1982年の選手名鑑など一部資料では4月16日)
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:180cm/75kg
ポジション:投手
出身 :大阪府
ドラフト:1979年ドラフト外
経歴 :PL学園高校-阪急ブレーブス(1980~1984)-阪神タイガース(1988)
球種 :不明
※一軍出場なし
選手概要
父が相撲取り、母が女子プロレスラーだったという右腕。
中学時代に少年野球で全国制覇を達成。
卒業後に進んだPL学園では3年春に外野手として甲子園出場。同期に小早川毅彦、山中潔、阿部慶二らがいた。
1979年にドラフト外で阪急へ入団。
阪急時代
1年目の1980年は二軍で1試合の登板のみ。成績は0勝0敗、防御率0.00だった(ただし自責点は0だったが失点は4)。
2年目の1981年は二軍で7試合を投げて、0勝0敗、防御率9.00。
3年目の1982年は二軍で13試合、0勝0敗、防御率4.71だった。
4年目の1983年は二軍で16試合を投げたが2勝6敗と負け越し、防御率3.53だった。
5年目の1984年は二軍で6試合に登板。0勝1敗、防御率12.38という成績で、自由契約に。
阪神時代
翌1985年、阪神の打撃投手へ転身。1987年には「この道で生きがいを感じた」と話していたが、1988年にまさかの現役復帰。
しかし、同年も一軍登板がなく、二軍で9試合を投げ、0勝2敗、防御率4.32を記録したのみで、オフに再び打撃投手へと戻った。
引退後
1991年に打撃投手を辞めたあと、家業のコンビニエンスストアを手伝いながらバッティングセンターでも働き、明治東洋医学院専門学校で鍼を学ぶという多忙な生活へ移行。その後、1995年にオリックスへトレーナーとして復帰し、1996年まで務めた。
ストレートに威力がある投手だった。