宮田 典計
みやた・のりかず
生年月日:1954年9月27日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:177cm/72kg
ポジション:投手
出身 :兵庫県
ドラフト:1975年3位
経歴 :社高校-鐘淵化学-阪神タイガース(1976~1981途)-阪急ブレーブス(1981途~1984)
球種 :ストレート、カーブ、シュート、パーム
選手概要
右腕。
社高校を卒業後、鐘淵化学へ入社。ここでは1975年に社会人野球日本選手権で最高殊勲選手賞に輝くなど活躍。
同年にドラフト3位で阪神へ入団。谷村智啓に投げ方が似ているという前評判だった。
阪神時代
1年目の1976年は右膝の故障により出遅れ。1試合に登板し、0勝0敗、防御率0.00を記録した。二軍では登板数は不明だが、4勝3敗を記録。
2年目の1977年は2試合に登板。0勝0敗、防御率12.00を記録した。二軍では24試合に登板。4勝7敗2セーブ、防御率3.60を記録した。
3年目の1978年は14試合に登板。1勝1敗、防御率3.77を記録した。二軍では18試合に登板。1勝5敗、防御率3.65を記録した。
4年目の1979年は7試合に登板。0勝0敗、防御率5.73を記録した。二軍では14試合に登板。4勝4敗、防御率4.00を記録した。
5年目の1980年は4試合に登板。0勝0敗、防御率7.50を記録した。二軍では22試合に登板。規定投球回を投げ、6勝6敗1セーブ、防御率2.79を記録した。
阪急時代
6年目の1981年6月24日に金銭トレードで阪急へ移籍。移籍後6試合に登板し、0勝0敗、防御率4.91を記録した。二軍では14試合に登板。3勝2敗1セーブ、防御率2.88を記録した。
7年目の1982年は一軍登板なし。二軍では21試合に登板。2勝2敗2セーブ、防御率2.25を記録した。
8年目の1983年は2試合に登板。0勝0敗、防御率6.23を記録した。二軍では18試合に登板。規定投球回を投げ、4勝5敗1セーブ、防御率2.53を記録した。
9年目の1984年は一軍登板なし。二軍では24試合に登板。3勝1敗2セーブ、防御率4.52を記録した。
同年限りで現役を引退。
カーブ、シュートを投げた。また、1980年頃からはパームも投げ始めた。
引退後
引退後は阪急の打撃投手兼スコアラーへ転身。1999年まで務め、翌2000年は打撃投手兼査定担当に。
翌2001年からは打撃投手を辞めてフロント入り。2013年7月から2021年3月まではオリックスの寮長を務めた。
余談だが読書家で、愛読書は『妖星伝』だった。
【1975年 阪神ドラフト指名選手】
1位:足立義男(入団拒否)
2位:鍛治舎巧(入団拒否)
3位:宮田典計
4位:中沢泰司
5位:深沢恵雄
6位:豊平晋一
ドラフト外:遠藤伸久・崎山嗣盛・宮本尊義・高木昇・玉城正富・西浦丈夫