プロ野球歴代選手名鑑

歴代のプロ野球選手を紹介するブログです

関東孝雄(中日)

関東 孝雄(関東 孝夫)

かんとう・たかお
生年月日:1951年9月2日
投打  :右投げ左打ち
身長/体重:181cm/81kg
ポジション:内野手
出身  :宮城県
ドラフト:1975年6位
経歴  :仙台育英学園高校-日本通運-中日ドラゴンズ(1976~1981)

選手概要

左打ちの内野手。

仙台育英学園高校、日本通運を経て、1975年にドラフト6位で中日へ入団。「俊足の三塁手」という前評判だったが「強打の遊撃手」と呼ぶ声もあった。

プロ1年目~引退まで

1年目の1976年は26試合に出場。打率.289、0本、6打点を記録した。

同年は前評判に反して二塁で7試合、三塁で1試合と、二塁手としての出場が多く「ポスト高木」と評する声も聞かれた。

2年目の1977年は40試合に出場。打率.222、0本、0打点を記録した。

3年目の1978年は90試合に出場。打率.238、0本、9打点を記録した。

4年目の1979年は登録名を「関東孝夫」へ変更したが、5試合と出場減。打率.000、0本、0打点を記録した。同年は「弱肩のため一塁手へ転向」と選手名鑑に書かれていたが、結局一塁は守らず、二塁を4試合守った。

また、二軍では60試合に出場。打率.297、3本、16打点、18盗塁を記録した。

5年目の1980年は18試合に出場。打率.140、1本、4打点を記録した。二軍では62試合に出場。打率.233、9本、24打点、10盗塁を記録した。

6年目の1981年は32試合に出場。打率.056、0本、1打点を記録した。

同年限りで現役を引退。

引退後

引退後はフロント入りしていたが(おそらくスカウト業務をしていたと思われる)1985年に中日の二軍守備コーチへ就任。1988年まで務めた。

その後の詳細はわからないが、一時期は巨人のスカウトを務めていた。

余談だが1977年当時、握力がチームNo.1だった。また、日本通運では貨物車から荷物を運搬する仕事を担当した。

 

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【1975年 中日ドラフト指名選手】
1位:田尾安志
2位:美口博
3位:青山久人
4位:早川実
5位:福田功
6位:関東孝雄