坂口 智隆
さかぐち・ともたか
生年月日:1984年7月7日
投打 :右投げ左打ち
身長/体重:181cm/82kg
ポジション:外野手
出身 :兵庫県
ドラフト:2002年1位
経歴 :神戸国際大学附属高校-近鉄バファローズ(2003~2004)-オリックス・バファローズ(2005~2015)-東京ヤクルトスワローズ(2016~2022)
選手概要
巧打の外野手。
高校時代はエースとして活躍し、2年春にセンバツ出場。3年夏には外野手として活躍した。
その後、2002年のドラフトで近鉄からドラフト1位指名を受けて入団。
近鉄・オリックス時代
1年目となる2003年から二軍で打率.302を記録した。このとき、高打率以上に、チームトップとなる31四球を選んだ点が興味深い。高卒1年目から高い選球眼を持っていたことがわかる。
しかし、2年目となる2004年は二軍で打率.266と成績ダウン。それでも翌2005年は二軍で、打率.285、5本、13盗塁と持ち味の巧打と俊足を存分に発揮した。
さらに翌2006年は二軍で54試合、打率.328、1本、12盗塁と絶好調。一軍にも昇格し、打率こそ.091だったが、初本塁打を記録した。
翌2007年は一軍昇格も春先不振だったが、秋から安打を量産。シーズン打率こそ.241だったが、翌年に期待を持たせた。
すると2008年、142試合出場とレギュラーを獲得。打率.278、2本、13盗塁と「1番・センター」として躍動した。
翌2009年は3・4月にヒットが出ず"2年目のジンクス"かと思われたが、5月から復活。最終的には打率.317、5本、16盗塁と自身初の3割を記録した。
このまま2010年、2011年も好成績を残したが、2012年5月の試合でダイビングキャッチをした際に右肩を脱臼。10月まで離脱し、40試合の出場に留まった。
この怪我の影響か、翌2013年は97試合で打率.230、2盗塁と絶不調。2014年も122試合で打率.235、3盗塁と精彩を欠いた。
この時期、守備自体は変わらずよかったが、どうしても打撃が不安定に見えた。一応、代打で出た際に結果を残すことはたびたびあったが、スタメンとしてはどうにも物足りない。
転機が訪れたのが2015年。36試合の出場に終わると、オフに規約を超える減俸提示を受けて自由契約を選択。ヤクルトへと移籍した。
ヤクルト時代
これがハマり、移籍初年度の2016年に141試合、打率.295、7盗塁と復活。出塁率も.375と高く、1番・2番としてチャンスメークの役割を果たした。さらに翌2017年も打率.290を記録。
ただ、さすがに全盛期と比べると守備力は衰えており、センターは厳しいのではないかと思われる場面も。首脳陣もそう思ったか、2018年からは一塁も守り始めた。これで守備の負担が減ったか、同年は打率.317を記録する活躍を見せた。
しかし、2019年は開幕直後に死球を受け、左手親指を骨折。これが響いたか、復帰後も打率は1割台に終わり、二軍でも打率.228と絶不調だった。
翌2020年は復活し、114試合に出場。出塁率.334と自慢の選球眼を見せ、9本塁打と意外なパワーを発揮したが、打率は.246とやはり衰えが来たのかと思わされた。
翌2021年が25試合、2022年が24試合に終わると、シーズン中の9月に現役引退を表明。二軍では3割を超える打率を残し、一軍でも四球を選ぶなど衰えない選球眼を見せたが、もう限界が来ていたか。
晩年は眼が衰えて引退する打者が多い中、最後まで四球を選ぶことができた点が印象的。通算1526安打、560四球を記録した、まぎれもない名選手だった。
また、坂口が引退したことにより、大阪近鉄バファローズに所属したことがある選手はすべて現役ではなくなったことになる。
ちなみに、こわもての顔だがファンや子どもに優しい性格で「将来の夢はプロ野球選手か保育士だった」と言ったこともあった。