吉見 祐治
よしみ・ゆうじ
生年月日:1978年5月21日
投打 :左投げ左打ち
身長/体重:188cm/92kg
ポジション:投手
出身 :和歌山県
ドラフト:2000年2位
経歴 :星林高校-東北福祉大学-横浜ベイスターズ(2001~2010途)-千葉ロッテマリーンズ(2010途~2013)-阪神タイガース(2014)
球種 :ストレート、スライダー、スローカーブ、チェンジアップ、フォーク
選手概要
打撃も得意だった左腕。
星林高校から東北福祉大学へ進学すると、4年生からエースとして活躍。その実績からシドニー五輪代表にまで選ばれた。ちなみに同期の投手には洗平竜也や歌藤達夫がいる。
2000年のドラフトで横浜を逆指名し、2位で入団。縦のカーブ、スライダー、チェンジアップ、縦よりの変化をするシンカーを投げるという前評判だった。
横浜時代
1年目の2001年は7試合を投げて防御率9.58と打ち込まれたが、2年目の2002年に11勝8敗、防御率3.64とその実力を発揮。
この時は140km台中盤のストレートと130km台前半ぐらいのスライダー、90km台のチェンジアップを投げ分け、たまに100km以下のスローカーブも投げていた。
こうした変化球やキレのあるストレートを投げるタイプだが、いかんせん球筋が綺麗なためか被弾癖があり、リーグ最多となる25被本塁打を記録。
3年目の2003年は開幕投手に選ばれたものの、被弾癖が顕著になり、3勝10敗、25被本塁打、防御率8.38と滅多打ちを喰らってしまった。
この年はフォークを覚えたが、そのために球のキレが鈍ったことも成績悪化に繋がったようだ。
4年目の2004年はキレが戻ったようだが、7勝5敗、防御率5.26とやはりいまひとつの成績に。
5年目の2005年は牛島和彦監督からストレートがシュート回転する悪癖を矯正されたが、4勝2敗、防御率4.22という成績で復活とはならなかった。
翌2006年も2勝9敗という成績に終わると、2007年からは先発も中継ぎもこなす便利屋へ転身。先発12試合、リリーフ26試合に投げ、防御率4.27という成績を残した。
だが、以後も成績は可もなく不可もなくといったもので、2008年に41試合、2009年に27試合を投げると、2010年途中にロッテへ金銭トレードで移籍。
ロッテ・阪神時代
すると8月に完封勝利を挙げるなどの活躍を見せ、貴重な先発左腕として起用された。
ただ、最終的な成績は6勝7敗、防御率5.18というもので、やはり能力自体はあまり横浜時代とは変わっていないようにも見えた。また、リリーフもこなしている割には立ち上がりがいまひとつで、試合序盤に不安定になる場面も。
翌2011年も24試合に投げたが、2012年が8試合、2013年も5試合に終わり、オフに戦力外通告を受けた。
この後阪神へ入団したが、一軍登板はなく、二軍でも11試合、43回1/3を投げて防御率3.95、被安打51、与四球21と走者を出す不安定な投球で、オフに再び戦力外となった。
阪神退団後は古巣・DeNAの打撃投手となり、さらにその後、スカウトへと転身している。
余談だが前述のとおり打撃が得意な選手で、新垣渚の154kmのストレートを安打にしたり、猛打賞を記録するなど、非凡なものを見せていた。