プロ野球歴代選手名鑑

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神島崇(日本ハム)

神島 崇

かみしま・たかし
生年月日:1979年1月9日
投打  :左投げ左打ち
身長/体重:180cm/77kg
ポジション:投手
出身  :福岡県
ドラフト:1999年6位
経歴  :東海大学付属第五高校-インディアンヒルズ短期大学-日本ハムファイターズ(2000~2003)
球種  :ストレート、スライダー、カーブ、チェンジアップ、フォーク

選手概要

異色の経歴を持つ左腕。

高校時代は3年間、肩痛と肘痛に悩まされたため、控え投手だった。それでも九州共立大学、東海大学、九州産業大学から誘いの声があったものの、これを断り、アメリカのインディアンヒルズ短期大学へ進学。

ここでチェンジアップを習得し、ピッチングの幅を広げると、1年生の時にリリーフで4勝1セーブを記録。2年生になると先発を任され、5勝1敗を記録した。

その後、1999年5月半ば、夏休みのため帰国した際に「日本ハムが興味を示している」という話を聞き、アメリカへ戻ることをやめ、日本でトレーニングをして指名を待つことに。

同年無事に日本ハムから6位指名を受けて入団。"隠し玉"として話題となった。

日本ハム時代

1年目の2000年は二軍で19試合に登板し、0勝0敗、防御率5.54を記録。同年は13回を投げて与四球12、与死球2と制球に苦しんだ様子が窺える。

2年目の2001年は二軍で16試合に投げ、0勝2敗、防御率3.93を記録すると、10月1日に一軍初登板。0回1/3を投げ無失点の成績を残した。なお、同年、一軍ではこの1登板のみだった。

3年目の2002年は、シーズン途中に投げ方をサイドスローに変更。しかし、二軍で16試合を投げて0勝0敗、防御率7.59という成績に終わった。

翌2003年は二軍で16試合を投げ、1勝1敗、防御率3.63という成績。同年は17回1/3を投げて与四球2とコントロールが大幅に良くなっていたが、オフに戦力外となった。

その後、日本ハムからは打撃投手を打診されるも、これを拒否。ヤクルトとダイエーの入団テストを受けたが不合格となり、合同トライアウトでも獲得する球団はなく、現役を引退。

引退後は神職になるため、国学院大学へ入学。神職の資格を取ってからは、菊池神社、太宰府天満宮、砥鹿神社で務め、2017年3月からは香取神社で奉職している。ちなみに神島家は元々神職一家で、父は宗像大社で務め、兄は太宰府天満宮で務めていた。

選手分析

投球:前述のチェンジアップの他に、スライダー、カーブ、フォークと多彩な変化球を投げた。また、ストレートの球速は140kmほど。

 

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