プロ野球歴代選手名鑑

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松田和哉(西武)

松田 和哉

まつだ・かずや
生年月日:1973年4月3日
投打  :右投げ左打ち
身長/体重:183cm/77kg
ポジション:投手
出身  :長崎県
ドラフト:1991年4位
経歴  :長崎南山高校-西武ライオンズ(1992~1999)
球種  :ストレート、スライダー、カーブ

※一軍出場なし

選手概要

プロ入りのとき"渡辺久信二世"と呼ばれた右腕。

長崎南山高校では、2年生からエースとして活躍。2年と3年の夏は県大会ベスト4入りを果たした。

この活躍から1991年にドラフト4位指名を受けて西武へ入団。この時、既に社会人から内定を貰っていたが、それを蹴っての入団だったという。

1年目の1992年は、高3の時から苦しめられた腰痛のため、なかなか投げられなかったが、途中で回復。シーズン閉幕間際に二軍で1試合登板し、0勝0敗、防御率0.00を記録することが出来た。さらに秋の黒潮リーグでも3試合に先発。

2年目の1993年は怪我に悩まされ、二軍で1試合投げて0勝0敗、防御率21.60を記録したに留まった。

3年目の1994年も二軍で1試合を投げ、0勝0敗、防御率5.40を記録したのみ。

4年目の1995年は二軍で5試合投げ、0勝0敗、防御率7.27を記録。8回2/3を投げて与四死球10とコントロールに苦しんだ。

5年目の1996年は二軍で13試合投げ、2勝1敗1セーブ、防御率6.15を記録。

翌1997年は二軍で5試合投げ、0勝0敗、防御率4.70という成績。

翌1998年は二軍で36試合と出番を大幅に増やし、2勝6敗2セーブ、防御率3.47を記録。80回1/3を投げて、規定投球回にも到達した。同年まで登板数が少なかった理由は、前述の腰痛が影響していたようだ。

しかし翌1999年は二軍で3試合と再び登板数減。0勝0敗、防御率12.00という成績で、同年限りで退団となった。

プロ野球生活のほとんどを腰痛に苦しめられて過ごしたことは不運。一軍登板がない中、球団も長く見てくれたが。

最速140kmのストレート、スライダー、カーブを投げた。

 

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