佐藤 謙治
さとう・けんじ
生年月日:1971年10月3日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:178cm/80kg
ポジション:投手/内野手
出身 :茨城県
ドラフト:1989年ドラフト外
経歴 :茨城東高校-読売ジャイアンツ(1990~1995)
球種 :不明
※一軍出場なし
選手概要
中学時代は2年生の時に投手兼外野手として県大会準優勝。3年生の時に100m11秒1を記録。
高校では野球部と陸上部で争奪戦が起こったが、野球部へ加入。入部当初は野手だったが、2年春から投手へ転向。高校通算37本塁打(35本塁打とする資料もある)を記録するなど、打撃も得意な投手として活躍した。
1989年にドラフト外で巨人へ入団。投手としての入団だったが「外野手希望で球団も外野手として育てる意向」と当時の選手名鑑には書かれている。
プロ1年目~3年目
しかし1年目の1990年は投手登録で、一軍・二軍共に登板なし。
2年目の1991年も投手登録で、一軍・二軍共に登板なし。
3年目の1992年は内野手として登録され、二軍で22試合に出場。打率.133、0本、0打点、0盗塁を記録した。また、一塁手として3試合、二塁手として1試合、三塁手として8試合、守備に就いた。
プロ4年目~引退まで
4年目の1993年は二軍で15試合に出場。打率.000、0本、0打点、0盗塁を記録した。同年は打数が3しかなく、代走などの途中出場が主だった。
5年目の1994年は二軍で34試合に出場。打率.275、1本、4打点、0盗塁を記録した。また、同年は主に二塁と遊撃を守った。
6年目の1995年は二軍で44試合に出場。打率.255、3本、9打点、1盗塁を記録した。しかし、同年限りで巨人を退団。
俊足の選手と呼ばれ、二軍でもたびたび代走で起用されていたが、意外にも二軍通算盗塁数は1のみだった。
引退後
退団後は、巨人でチームメイトだった大久保博元のマネージャーへ転身した。また、2023年8月現在は少年野球チーム・水戸青藍舎ヤングのコーチを務めている。
息子の佐藤壱聖も野球選手としてプレーしており、2020年に東日本国際大学附属昌平高校へ入学。高校卒業後は中央大学へ進学した。