プロ野球歴代選手名鑑

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柴田章吾(巨人)

柴田 章吾

しばた・しょうご
生年月日:1989年4月13日
投打  :左投げ左打ち
身長/体重:175cm/79kg
ポジション:投手
出身  :三重県
ドラフト:2011年育成3位
経歴  :愛工大名電高校-読売ジャイアンツ(2012~2014)
球種  :ストレート、スライダー、シュート、カーブ

※一軍出場なし

選手概要

難病を抱えながらプレーした左腕。

大安中学校3年生の時に厚生労働省指定の難病「ぺーチェット病」を発症。医師から野球を続けることは無理だと告げられたが、愛工大名電高校へ進学。

高校では入院などを経験したものの、3年夏には甲子園へ出場。卒業後は明治大学へ進学した。

大学では野村祐輔の控え投手だったが、2011年に巨人から育成3位指名を受けて入団。横の揺さぶりで攻めるタイプの投手という前評判だった。

巨人時代

1年目の2012年は一軍・二軍共に登板なし。フューチャーズなどでの登板に終始した。

この年のフューチャーズ対四国アイランドリーグ選抜の試合を見たことがあるが、サイドスロー気味のスリークォーターのフォームから、スライダーとシュート、カーブらしき球を投げていた。また、ストレートの速さはだいたい130kmほどで、1回で2死球を与えるなどコントロールに難があるように見えた。

2年目の2013年は二軍で27試合に登板。1勝0敗、防御率3.56を記録した。同年は30回1/3を投げて奪三振21、与四球21、与死球3とやはり制球に乱れがあった。しかし、秋のアジアウインターリーグでは15回を投げて1失点と好投。期待を持たせた。

3年目の2014年は二軍で3試合に登板。0勝0敗、防御率94.50を記録した。

同年10月に戦力外通告を受け、巨人の球団職員へ転身。

引退後

2015年を巨人の球団職員として過ごしたあと、2016年4月にアクセンチュア株式会社へ入社。

さらに2019年10月には起業し、No border株式会社を設立。他にも野球アカデミー「Millile+63」をマニラに設立するなど、活躍の幅を広げている。

 

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