田中 由郎
たなか・よしお
生年月日:1955年9月3日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:183cm/85kg
ポジション:投手
出身 :鳥取県
ドラフト:1975年1位
経歴 :八頭高校-三菱重工三原-ロッテオリオンズ(1976~1977)-横浜大洋ホエールズ(1978~1982)
球種 :ストレート、カーブ、スライダー、シュート、シンカー
選手概要
アンダースロー右腕。
八頭高校を経て、三菱重工三原へ入社。丸善石油の古賀正明や松下電器の山口高志に投げ勝つなど活躍を見せた。
1975年にドラフト1位でロッテへ入団。この年ロッテはドラフトでの指名順が1番だったため、全体1位でもあった。元々は別の選手の1位指名が決まっていたが、スカウト部長の濃人渉が「田中が活躍しなかったら腹を切る(辞める)」と言うほどの執念を見せ、1位が田中で決まったという。
速球派のアンダースローで、すぐにでも一軍で投げられるという前評判だった。また、ロッテ以外に巨人や広島も注目していた素材と言われた。
ロッテ時代
1年目の1976年は、3月1日に行われた巨人とのオープン戦で2回7失点と炎上し、二軍落ち。同年は9試合のみの登板に終わり、0勝2敗1セーブ、防御率5.59を記録した。
この成績を受けてオフに濃人は宣言通りスカウトを辞職し、ロッテを退団。翌1977年の選手名鑑では田中の欄に「濃人前スカウトをクビにした人」とまで書かれてしまった。
2年目の1977年は27試合に登板。2勝6敗3セーブ、防御率4.00を記録した。
同年オフの12月にトレードで大洋へ移籍。交換相手は奥江英幸+渡辺秀武だった。
大洋時代
翌1978年は13試合に登板。0勝0敗、防御率4.24を記録した。
翌1979年は45試合に登板。141回1/3を投げて規定投球回に到達し、5勝6敗1セーブ、防御率4.21を記録した。
翌1980年は33試合に登板。5勝10敗、防御率4.78を記録した。
翌1981年は12試合に登板。0勝0敗、防御率6.00を記録した。同年は右肩痛に苦しみ、成績を落とした。
翌1982年は一軍登板なし。二軍では8試合に登板。1勝3敗、防御率4.94を記録した。
同年限りで戦力外となり、大洋を退団。
選手分析
投法:高橋直樹に似た投球フォームだった。
球種:ホップするようなストレートを投げた。変化球ではカーブ、スライダー、シュート、シンカーを投げており、特にシュートとシンカーが武器だった。
スタミナ:100球前後投げると、疲労から上体だけで投げる形となり、球速が落ちるという欠点を抱えていた。
コントロール:「コントロールに難がある」と言われており、1980年にはリーグ最多となる与四球80を記録した。
【1975年 ロッテドラフト指名選手】
1位:田中由郎
2位:大町定夫(入団拒否)
3位:水上善雄
4位:立野清広
5位:北川裕司
6位:中村昭(入団拒否)
ドラフト外:須田清見・池畑満也
新外国人:ブリッグス