美口 博 (美口 靖夫)
びぐち・ひろし (びぐち・やすお)
生年月日:1957年5月29日
投打 :右投げ右打ち
身長/体重:182cm/75kg
ポジション:投手
出身 :高知県
ドラフト:1975年2位
経歴 :中村高校-中日ドラゴンズ(1976~1980)
球種 :不明
※一軍出場なし
選手概要
不運な事故に遭った右腕。
中村高校時代の1975年に中日からドラフト2位指名を受けて入団。本格派投手という前評判で「将来のエース」と呼ぶ声もあった。
1年目~引退まで
1年目の1976年は二軍で10試合に登板。2勝3敗、防御率4.41を記録した。
2年目の1977年1月に自動車事故に遭い、両脚を複雑骨折(左脚とする資料もある)。同年の選手名鑑に「再起は微妙」とまで書かれており、かなりの重傷だったことが窺える。
その後の手術では左脚に直径13mmの金の棒を入れるなどした。また、当然ながらこの年は一軍・二軍共に登板なし。
3年目の1978年は登録名を「美口靖夫(びぐち・やすお)」に改名。奇跡的に投げられるまでに復活し、二軍で1試合に登板。0勝0敗、防御率9.00を記録した。
4年目の1979年は二軍で5試合に登板。1勝1敗、防御率3.86を記録した。同年は右肘痛に悩まされ、試合どころか練習すら出来ないこともあった。
5年目の1980年は二軍で3試合に登板。0勝0敗、防御率18.00を記録した。同年は5回を投げて与四球7、与死球1と制球に苦しみ、甘いコースに失投することも多かったのか、被本塁打3と一発を浴びた。
同年限りで中日を退団。
「小松辰雄以上の快速球を投げることもある」と言われるほど球が速かったが、交通事故と肘痛に泣いた。それでも二軍戦で投げられるまでに復活した点は見事。